戸田ゼミ通信アーカイブ トップページ >> 上海から家族への手紙(天真爛漫)

上海から家族への手紙(天真爛漫)

第5回 揚州に行ってきました。

ろとくんへ

楊州に行ってきました。
ろとくんなら、楊州といえば、三国志で呉の孫権が都を立てた建業(今の南京)のあったところと思いだすかもしれませんね。とうさんが行ってきたのは、もう少し狭く今の楊州市です。

楊州といってまず思い出すのは、鑑真和尚の故郷ということでしょうか。大明寺というお寺が鑑真さんが和尚をしていたところです。なかには鑑真記念堂という新しい建物があったり、奈良の唐招提寺から送られたという石灯籠があったりします。
たくさんの遣唐使が楊州に立ち寄り、長安に向かったとも聞きます。小さな街ですが、少なからず日本との関係があることを知るととても親しみが沸いてきました。

街の中心には、痩西湖公園があります。やせた西湖ということですが、杭州市にある西湖に似ていて、小さいことからこの名がついたそうです。確かに西湖に負けず劣らずとても気持ちのいい場所です。特に3月の終わりは桃の花のほかたくさんの花が咲いて一番きれいだそうです。楊州に来るには、春休みがいいですね。

この痩西湖も昔は長江とつながっていたのかもしれませんが、楊州は長江にも近く、遣唐使が利用したように長江など水路で栄えた街であることが今でも伺えます。ただの川にしかみえませんが、京杭運河(北京と杭州を結ぶ運河)も通っており、当時は交通の要所であったのかなあと思いを馳せることもできました。
こじんまりとした街ですが、この揚州のように上海を少し離れると見るべきところがたくさんあるところが方々にあります。そして上海の喧騒を忘れさせてくれるのんびりとして落ち着いた雰囲気が味わえるとこが魅力ですね。

それから最後に、楊州といえば、楊州炒飯というらしいです。一日に3度違う店で揚州炒飯を食べてみました。ものの本には、「銀(シャリ)を金(卵)でくるんだ」という表現もあるようです。しかし簡単にいうと卵入りミックス炒飯ということでしょうか。とうさんが一番うまいと思ったのは、「楊州富春茶社」で食べたものでした。機会があれば本物を試してみるといいですが、楊州炒飯は、上海などどこでも食べることができますので、悪しからず。

とうさん

2010/05/15