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パラン・パラン(スエナリ)
第32回 ナホトカ航路
1973年9月8日 横浜から船に乗って、
ソ連経由でヨーロッパへの旅にでる。
不安とわくわくした喜びを胸に秘めて。
東池袋三丁目の安アパートから大山の
サウナに通う生活にうんざりしていた。
新宿、渋谷、中野、有楽町等と
移動して池袋にしばらくいたのですが、
「ああ、どこかに行きたい」という想いが
むらむらと湧いてきたのです。
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に
刺激されたのです。
このルートが一番安くヨーロッパに出る方法で
若者はわんさか行ったのでした。
インツーリスの手配でヘルシンキまで15万ぐらいだったと
思います。
船に乗るため横浜駅の階段を下りているとき、
仙台のいた時ときに知り合った斎藤にばったり
遭ったのでした。
斎藤は税関に勤めていて、今は横浜に配属に
なっていたのです。
その晩彼のアパートに泊めてもらう、
朝、彼はおかゆを作り二人で食べる。
ソ連に上陸すると、ウラジオストク、ハバロフスク、を
経由してモスクワへ、着きます。
モスクワから列車でレニングラード(サンクトペテルブルグ)
を経てフィンランドのヘルシンキに着きました。
それから南下したのです。
少年とパン チュニス
2008/04/15