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パラン・パラン(スエナリ)
第162回 鳥の皮から豚足
上海万博でのスマップの出演が、混乱を避けるため
中止になったそうです。
日本の万博は1970年でした。
三波春夫が万博のコマーシャルソングを歌っておりました。
私は、20代で仙台に居ました。
浅野川を渡って、大きなこけしが建ってるの公園の近くの
襤褸アパートの、二階奥の二畳の部屋に暫く居ました。
それから、八幡町の民家で庭に面した、
階段下の3畳の間に、下宿しました。
そこの、お父さんは「白松がもなか」の職人さんで、
モナカの皮を焼く名人っだたのです。
晩酌は、焼いた鳥の皮を、大蒜醤油で摘み
焼酎をサイダー割って、飲むのが好きでした。
生まれは農家だったので、子供の頃は、
家に、牛、豚、鶏を飼かっていました。
みつばちの箱もありました。
しかし、鳥の皮だけを、食べたことはありませんでした。
それから、東京に出てきて、
新宿の、柳町交差点近くの焼肉屋で
初めて、豚足を食べた時の驚きに匹敵する、
感激でありました。
その年の暮れ、一人で、岩手県の宮古から小本まで歩き、
それから、汽車で、久慈を経て、青森から函館まで
行ったことがありました。
どうして、そうなったか、忘れましたが、
仙台から北上して、宮古から小本まで一日ずっと
歩いたのです。
途中、田老銅山に迷い込み、
山道もだんだん暗くなって来て、寒くなり
月明かりが、砂利道を照らすなかを
あてもなく、ただ、どこかに急いだのです。
夜の10時過ぎにやっと、小本の町に入ったのです。
そして、通りの夜警所に泊めて貰ったのでした。
途中の部落で、声をかけてきたおばちゃんは
万博に行ってきたと、自慢げに話していました。
そのことが、鮮明に耳に残っております。
岩手の山奥にも、万博の嵐が吹いていたのです。
2010/06/06