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パラン・パラン(スエナリ)
第150回 パルテノン神殿
「25歳の秋、イタリアのブリンデシからフェリーでギリシャの
ペロポネソス半島の北、パトラに着いたのは夜でした。
パトラの駅構内で寝て、翌朝、オリンピアを覗いて
汽車でカラマタまで行き、浜辺で寝て、
次はスパルタ、小学校の校庭で朝を向かえました。
当時はギリシャは軍事政権でいたるところに、
パパンドロスのポスターが貼ってありました。
今は、カラマンリス大統領、パパンドロス首相だそうで、
孫の時代です。(間違ってたらごめんなさい)。
そこから、汽車でミケーネ、コリントス、と廻って
ピレウスに着いたのは夜でした。
港に停泊していた、フェリーに乗ったのはいいのですが
行き先は知りませんでした。
イラクリオン行きだったのです。
デッキで夜を明かし、クレタ島に着いたのです。
バスで島の西、シティアまで行き、小さな船で、カルパトス島と経て
ロドス島に向かったのです。
一泊して、ピレウスに戻ったのでありました。
ほとんど、忘れましたが、シティアの食堂で土地の
漁師に松脂由来の酒を勧められ、
困惑したことは、鮮明に憶えています。」
テッサロニキを午後4時45分に発ったバスは
途中、2回休憩して、アテネの
バスターミナルに着いたのは、
8時間後でありました。
バスターミナルを出た所で、
タクシーに乗る。
この男は曲者で、先に現地の親子(母と娘)
乗せ、次に我々を乗せて出発したのです。
市内で、親子を下ろし、
我々に、安い宿を紹介すると言うのです。
相手にしないのですが、しつこいのです。
アストールを大声で連発して、
どうにか、アストールホテル着いたのは
午前1時を過ぎていました。
七階の部屋から、やや右前方に、
パルテノン神殿が煌々と
ライトアップされて、おりました。
2010/03/08