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パラン・パラン(スエナリ)

第107回 梅雨

梅雨ですが、さっぱり雨が降らず、
蒸しあつ日が続いています。

6月の庭は草木が繁茂して、濃い緑の葉が勢いを増している。
近くの山で拾ってきた、どんぐりの木は5メーターほどになり

植えた記憶のない落葉樹が、大きくなって、その子分たちが
そこら一面に芽を出し、ほっとくとその林になるような勢いだ。

僕なんかの手に余る問題なのですが、
臓器移植法案が衆議院を通過しました。
年齢制限を設けず「移植」を促進させようとする法案ですが

すんなりと成立するか、まだわかりません。
子供の心臓移植が、国内では出来なく国外でやってきたのですが、
お金の問題や自国主義等で難しくなってきたのが、
後押ししたのです。

「脳死」は(医学的に)人の死と認めて、臓器移植の根拠を提供する
しかし、「脳死」は人の死ではない。
人体を部品かなんかのように考えて、取替え可能のかんがえ方が
移植というかんがえに繋がっていくのではないか、
医学が進歩して、患者の方も取り替えれば長く生きられると
教えられて、それに思いをいたすようになる。
欲が深くなるのです。
国内でだめなら、海外にでていっても、やってくるそんな風潮なのです。
それも、金がかかるのです。貧乏人はむり。

生体肝移植なんか今は頻繁におこなわれてる。

臓器提供の考えは、いろいろあっていいとおもうのです。
本人生前からの意思表示が、あればいいのですが、
それが不可能の場合、厳密な条件のもとでの親族の
同意があれば、いいのではないかと思います。
以前こんな映画がありました。
提供者本人は、余命1年以内ということがわかっていて
代理人が目や心臓の移植する人を選別して、
最後に提供を受けた人たちが、公園で会うという筋です。

20年前に息子が生まれましたが、
生まれながらに心臓(心室中隔欠損?)悪く、
無理だと云われましたが、奇跡的によくなり。
一般病棟に移り、明日退院だというその日に
ぽっくり、死んでしまいました。
原因究明のため、解剖させてくれと云われましたが
拒否しました。

〇 レイキャビック

2009/06/23