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知者不言、言者不知(村上悠悠)
第4回 その時は気付かないけど
百貨店に就職した友人がいます。
寿退社して、現在はご主人の家業を手伝う女将さんですが。
美大を卒業して、デパートの販売促進課に入りました。
間もなく、NECのパソコンフェアの担当となりました。
日本のパソコンでの最初の大ヒット、PCシリーズです。
さて、百貨店においてパソコンは、どの売り場が担当していたと思いますか?
なんと、音響製品の売り場です。
百貨店の部門というものは、
「それまでにあるもの」「現在あるもの」を仕分けている、
だから、「今までに無いもの」が流通に入ってきた時、
それをどこに仕分けるのかは難しい。
「パソコンがオーディオ売り場に入るのは、おかしいんだ、
かと言って家具家庭用品部では引き受けられない(あの当時)。」
という議論があったのを彼女は覚えているという。
そういう時代でした。
さて、その後、任天堂がファミコンを発売した時はすごかった、という。
これでオモチャの概念が変わります!
とオモチャ売り場の担当者は言ってたそうです。
確かに変わった。
そう、任天堂です。
彼女は任天堂の名前は知っていた。
まだ、ファミコンを出す以前にである。
なぜなら、美大の就職課に求人票があったから。
なんで記憶に残るほど興味持ったかというと、
デザイナーの給料が高かったから。
彼女は友達と、「任天堂てどんな会社?」
「花札の会社なんだって」
「花札って何?」
それで初めて、彼女は「いのしかちょう」を知ったという。
(そういえば私も花札というものを実際に見たのは
上京してからデパートの玩具売り場が初めてだった。)
「そこのデザイナーって、何をデザインするの?」
とにかく任天堂の求人票は、話題になった、
それだけ給料が高かったんだろう。
そしてファミコンの大ヒット!
その頃、週刊誌にこんな記事が出てた、
「任天堂、ボーナス29ヶ月!?」
うっそー?!
その記事には、「そんなには出ませんよ」と
笑って否定する任天堂社員と出ていたけど、
そこまで言われるということは可なり多かったんだと思います。
そのことを彼女に言うと
「じゃあ、あの時就職した人は29ヶ月のボーナスもらったんだ。
あたしのデザイナーとしての才能は無に近かったから、
スーパーマリオの作者にはなれなかっただろうけれど、
猪の絵を描いてさえいれば少なくても20ヶ月くらいのボーナスもらえたかもね、
もしあの時、入社してればね。」
お金持ちになるのって、
その時は気がつかない小さい運がきっかけになってるのでしょうか。
面白いですね。
あなたにも、そう思えることがありましたか?お金に限らず。
2008/01/22