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知者不言、言者不知(村上悠悠)

第3回 東京電機大学という生き方

前回、他の大学が移転や、第2キャンパスを
郊外に持つというやり方をしていた時代に、
独特な対処をしていた大学があった、ことを言いました。

その大学は、神田にある東京電機大学です。

小泉内閣において、「官邸のラスプーチン」と呼ばれた
飯島勲秘書官の出身校ですね。

東京電機大学は、移転をせずに、
大きな建て替えもせずに、学生数の増加に対処してきました。

その方法は、近隣のオフィスビルの空き部屋を
教室として使用する、というやり方です。

そう、普通はこれをやるのは予備校や学習塾です。

それを、大学としても60年近い歴史をもち、
創立からは百年近い歴史ある大学がやったのです。
でも、そのおかげで神田の地から離れることなく、
少子化の時代になっても遠隔地ということで
入学希望者から敬遠されるという憂き目に会わずに済んだのです。

私は、この東京電機大学の選択は、
邱先生がおっしゃっていた
「本当の金持ちは意外と普通の所に住んでいるものですよ」
という言葉に通じるものがあると思います。

いわゆる高級住宅地に住むことに拘るのでなく、
ちょっと住みよい所に普通に住んでいる。
電機大学も大学の校舎が立派で見てくれがいいことに
拘るわけではなく、取りあえず立地がいい所に
居続けることを選択したわけです。

そして、条件が整ってから
立派な校舎に建て替えていったのです。
難しいけど、このくらいの割り切り感覚があると、
乱世も生き残れるのでしょうね。

2008/01/15