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とことこ古都散歩(宮田琴)
第1回 京都を歩こう
みなさまはじめまして。
宮田 琴と申します。
京都は今日もたくさんの観光客であふれています。
ちかごろでは地元の人間よりも、観光で来られる方のほうが
素敵なお店の情報などに精通しておられたりしますよね。
でも一歩通りを入れば、
小路大路のそこかしこにおもしろい場所がたくさんあります。
ここでは
わあ、おしゃれ!とはいえないけど
ようし、ここに出かけよう!という程でもないけど
「へえー、こんなところがあるんだね」
という古都の一角をご紹介して参りたいと思います。
このコラムが日々のちょっとした気分転換になりますように。
さて、今回は高辻室町付近にある「繁盛神社」です。
起源に付いては古く「宇治拾遺物語」に記載によると
「長門前司という人の娘が亡くなってしまった。
いざ弔おうと遺体を運び出すが、何度運んでも桶は空で
遺体は元の場所に寝たままになっている。
しかたがないので、その場所に塚と祠をつくった」
とあるそうです。
これを怨霊封じと取るのが普通なのかもしれませんが
私にはどうも
「あんたはホンマにここが好きやったんやねぇ、
しょうがないなァ、ほなここにおったらええわ」
とその娘のことを思って塚と祠を作ってあげたように感じられます。
そんなふうに思わせるような小じんまりとした神社です。
塚はいつしか班女塚(はんじょづか)とよばれ、近世に入ると祠も併せて
繁昌神社と呼ばれるようになったそうです。
かつて塚と神社は同じ敷地にあり、秀吉が行った都市整備の後は
図子(ずし)と呼ばれる小道でつながっていました。
現在は図子の奥に塚があり、
塚から神社に抜ける図子は駐車場になっています。
図子とは
秀吉の時代、人口増加にともない宅地を確保するために
お屋敷があった大きな土地を細かく分譲するためにつくられた路地です。
車も通れないような細いこの路地は
迷い込むと車道の騒音がぴたりと聞こえなくなり
タイムスリップしたような気分になる不思議な空間です。
室町といえば、近世は商業中心地でした。
近世にはその娘のことを知る人はもういなかったはずですが
塚と神社は守られ、現在までその姿を残す事となりました。
娘は塚をつくってくれた人達、その子孫達にも感謝して
いまも図子の奥から室町筋の商売繁盛を見守っているのではないでしょうか
場所:京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町 ※リンク切れのため、リンクを削除しました(2015.06.28)
最寄り駅:京都市営地下鉄「四条」、阪急電鉄「烏丸」
ちょっとお茶でも:COCONからすま(複合商業施設)
2005/08/14