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丘の上から(小日向次郎)

第38回 スコッチパスポートウクライナ③

2回目に東欧のウクライナ共和国へ行ったのは2000年3月でした。
ロンドンよりウィーン経由でキエフに入るも、
天気もどんより灰色で「春が遠い」雪が残る寒い季節。

日本の農業経営専攻の大学教授と
前回書いたドネツク大学の教員と一緒にウクライナの農村で
合同調査を試みたのです。

日ウ共同の試みであり、
私自身も紹介人の役割をしたこともあって、
モチベーションは寒さを吹き飛ばすくらい高いものでした。

キエフ空港の国内線ターミナルビルは、
「グレーの箱」で地味なデザイン。

6時間ロビーで乗継便を待合わせた後、
爆撃機みたいな小型プロペラ旅客機に乗って夜ドネツクへ。
当時1日1往復。

ドネツクの空港には黒い旧ソ連製の名車ボルガがお出迎え。

ドネツクの高級ホテルにチェックインしたところ、
部屋に大型のストーブがありました。
遠方からの客に対して親切だと思っていたところ、
隣の部屋にはストーブがありません。
よく見ると窓が割れていました。
その時はなんとも思わない自分だったのでしょう。
寒くてもウォッカを飲んで寝たら気持ちよかった。

ウクライナ東部の穀物(主に麦の生産)
農家を訪問による調査を行いました。

農業経営に関する調査は日本からこられた教授が担当し、
地域産業の発展について論じ、
ウクライナ側の見解も踏まえて研究をしていけないかという骨子でした。

ウクライナに行く日本人は当時多くなく、
その中でも農場を訪問する日本人は少なかったと思います。

ウクライナ側も農場での経済調査をしたことがなかったことから、
新しい試みだったと思います。

訪問する先々の農家や村役場では、調査の後大宴会が待っていました。

「我らが村にようこそ、我が家にようこそ」と乾杯の嵐の中、
主賓である教授は多くスピーチを行い、何回も杯の底を上げ続けます。
私も同様に感謝とお互いの発展を祈りました。

農業と工業に希望ある東欧に輝く平原国は今どうなっているのだろう。

2010/09/10