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丘の上から(小日向次郎)

第8回 ベトナムへ①

初めてかの国に行ったのは、2003年7月のことであり、
「アジア」に深く接する最初の機会でした。

最後に訪越したのは2007年末のことですので、
ここから書くコラムは4年間という短い期間について
のことであることをご了承下さい。

イギリスに滞在中、ハノイ出身のベトナム人と同じ
研究室で話をする機会が多かったものの、単に行く
機会がなかったためでしょう、欧米人が「アジア」
をオリエントと称して遠い未知の世界と感じるのと
似たような感覚でした。

最初の「アジアデビュー」は本当に辛いものでした。

初めてアジアへ行く日、緊張と震えが自分を重たく
しているようでした。

酒で体をリラックスさせて、香港でベトナム航空の
機体を見た時に「いよいよだ」と(おおげさですが)
大海原に出る小船に乗る気分。

小さな飛行機の窓から初めて見たその風景は、
紅い大地でした。

ハノイ近郊のノイバイ国際空港上空に来ると、
眼下に田んぼと最近開発された日本企業が多く入る
工業団地が見えます。

あと池が無数にあるように見えますが、
その多くはベトナム戦争による空爆によってできた
穴だと伺いました。

一年で一番暑い季節にベトナムに行ったため、
日程は全部消化したものの、風邪を引いた日やお腹の
調子が良くない日もあり、常備薬が底をつきました。

ベトナム人の乾杯パーティーは本当に半端ではありません。
昼夜を問わず酒付きご飯や接待も大変でした。
いろいろな制服の人が昼から陽気に飲んでいます。

「飲んだ後に仕事をするのですか?」「・・・・」
「飲んだ人は飲酒後にバイク乗って帰宅するのはいいの?」
「・・・・・」笑うだけの皆様です。

この国をたびたび訪問するうちに、文化に深く関心を
持ちました。

言葉はよくわかりませんが、別に不都合を感じることもなく、
ハノイに入ると「エキゾチックな自分の庭」気分で歩いて
いました。

余談ですが、ベトナムと台湾と両方の業務が日程にある場合、
ハノイから台北に入ると、台北は言葉の通じない日本のどこか
みたいで、「こんにちは」ではなく「ただいま」でした。

2010/02/13