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中国名言と株式紀行(小林 章)
第140回 四000年を学ぶ中国名言/「人生の騏驥とは何か」
『麒麟の衰うるや、駑馬これに先だつ(麒麟之衰也、駑馬先之)』
出典【『戦国策』斉策・閔王】
[要旨]優れた人物も老いれば、その働きや能力は凡人(普通の人)にも及ばない、とのたとえ。
麒麟(きりん)、または騏驥(きき)とは、一日に千里を駆ける駿馬(しゅんめ)、名馬のことで、駑馬(どば)とは駄馬(だば)と同様に荷馬車を引くような下等な馬のことです。直訳すれば、かつての駿馬も老いてくると、普通のそこら辺にいる馬にも走りで抜かれて負けてしまう、ということです。
『戦国策』は前漢の劉向の撰で、戦国時代の有力な遊説の士の言説や献策や逸話などを国別に編集し、33篇にまとめた書物です。
この『戦国策』でおもに取り上げられているのは、中国の戦国時代に諸国を遊説して君主に外交論を説いた縦横家(説客)についてでした。
この「斉策」中で取り上げられている名言の主は、張儀と並ぶ縦横家の蘇秦という人です。
蘇秦は戦国七雄のうち、強国の秦を除いた六国(韓・魏・趙・楚・斉・燕)の君主を説いて、その間に同盟を成立させて、六国の宰相を兼任した人です。
後に有名な「鶏口となるも牛後となることなかれ(為雞口無為牛後)」という故事成語となった言辞を述べた人でもあります。
蘇秦のような縦横家は、古代ギリシァのソフィスト(弁舌家)に似て、弁舌さわやかで読心術に長け論理整然とし、博覧強記を売り物とした人達で、諸国を巡って君主や宰相に自説を説いて歩きました。その筆頭が、蘇秦と張儀です。口先一つで6国の君主の心をわし掴みにして動かした才能とは、現在の世界的なITの旗手にも勝るでしょう。
通常、このことわざは「麒麟も老いては駑馬にも劣る」と言い換えられてよく用いられています。
この類語に日本の俗語「昔千里も今一里」「昔の剣今の菜刀」などがあります。
また「騏驥にも躓(つまず)きあり」(よく走る馬でも時には躓くことがある)とは、どんな優秀な人でも偶(たま)には失敗することもあるという意味で使用されます。
さらに「騏驥の跼躅(きょくちょく)は駑馬の安歩(あんぽ)に如かず」(優馬でもぐずぐずしていれば、駄馬が着実に歩み続けるのには及ばない)とは、どんなに優れた人でも、怠けていれば、凡庸な人の努力に劣るという意味になります。この言葉は『史記』淮陰侯伝にみえます。
こうしてみると「老い」とは、非情なもののようにも思えてきます。
日本の労働環境のなかでも、後進に容易にポストを譲ろうとせず、その地位に恋々とする高齢者の老害が言われて久しいものがあります。
中国でも、共産党の最高ポスト政治局常務委員の席にも定年制が設けられる時代です。
ところが、医療技術の進歩や食事環境の改善、健康管理概念の普及により、徐々に高齢化の波は押し寄せてきています。人生80年は当たり前となっています。
私たちの人生にとって「老いる」ということはどういうことなのでしょうか。
ここに、米国での35万人のインタビューと追跡・集計の大規模調査の結果があります。
この調査を行ったストーニーブルック大学のストーン博士によれば、人生に幸福を感じるのは、20歳代までが一つの頂で、20歳代で一気に落ち込み50歳代前半までが最低迷期で、ここを過ぎると回復に向かい、これ以降下がることがないことを突き止めました。
すなわち、人生の幸福のピークは老年期にやってきます。
また、ストーン博士らのグループは、同時に負の感情についての脳の反応についても解析しています。つまり、怒りや悲しみ、不安やストレスといった負への感情は若い頃が一番強く、年齢とともに徐々に減っていきます。逆に、若い頃はプラスの感情には反応が薄いものの年齢とともに、喜びや快事などの正への反応が増していきます。
ひとは年齢とともに、好悪を平等に見ることができるようになるわけです。
つまり、人は年齢を重ねると、比較的こころが平穏になり、生活の知恵が身に付いてきて、重要な局面でも冷静な対応ができるようになるのです。また、生きることへの感謝の気持ちが芽生えてもきます。もちろん、老年では体力の変調や衰退も相乗するでしょう。
さらに別の投資に関する実験報告では、年配者は損失にあまり固執しないようになる傾向もあるそうです。損を必要以上に回避しないようになるということでいえば、オレオレ詐欺で息子や孫のために大金を投じてしまう人がいるのも肯けます。
ところが、若年者ほど得よりも、損失の方により反応してしまう傾向が見られるそうです。
『論語』に「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」云々の孔子の言葉が思い出されますが、むしろ別の孔子の言葉で「孔子曰、君子有三戒、少之時、血氣未定、戒之在色、及其壯也、血氣方剛、戒之在鬪、及其老也、血氣既衰、戒之在得」(孔子は曰わく、君子に三戒あり。少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り。其の壮なるに及んでは血気方(まさ)に剛なり、これを戒むること闘(とう)に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰う、これを戒むること得に在り)のほうが身にしみます。
つまり、孔子は「君子には、三つの戒めが重要である。若いときは血気が定まらないから、戒めは女色にある。壮年になると血気が将に盛んだから、戒めは争い事にある。老年になると血気はもう衰えるから、戒めは欲にある」といっています。
孔子の言う「血気」とは、簡単にいってしまえば「負への感情」ということになるでしょう。
そして、老年に至って「欲望」を上手く抑えてコントロールできた人は、幸福感で満たされることになります。
人生が生殖年齢よりも必要以上に永くなったいま、私たちはいままでとは違った価値観や評価を基準に生きていく必要に迫られています。
いわば歳(よわい)を重ねてきた人生の達人として、すなわち余生を人生の麒麟や騏驥として生きる再スタートを切らなければならないのではないでしょうか。
66「人生の騏驥とは何か」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2013/11/15