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中国名言と株式紀行(小林 章)

第136回 中国・天津より/中国株日記 (69)

【NO.72】中国、天津より(10)
日本という国は「不労所得」に対してとても不寛容な国です。
それは、世の所得格差やかつてのバブルなど「拝金主義」的な風潮に対する強い拒絶反応の強さからもうかがい知れます。
私は、その拝金主義が良いとか悪いとかを言っているのではありません。
こうした昨今の風潮を敏感に感じるにつれ、日本人のお里が知れるというか、本物のお金に対する教育や豊かさを経験してこなかったのだな、としみじみとその不幸を感じさせられるのです。

一方、親しく中国人と付き合ってみれば、お金に対するそんな窮屈な考え方をする人は皆無といえるでしょう。中国人のお金に対する考え方は、極めて寛容的であり、おおらかそのものであり、生活のなかに深く根付いており、その現実主義に基づいています。お金儲けを庶民が楽しむというような風潮も見受けられます。儲け話と聞くと、膝を乗り出してくるのは当たり前です。それには育った環境や教育が、実は深く関わっています。

不労所得(unearned income)とは、そもそも、それを得るために労働する必要が無い所得(勤労所得以外の所得)のことで、労働の対価として得る賃金・報酬以外による所得を指します。
自ら汗水垂らさず働かずとも得られる収入、又は収入源という意味で用いられることもあります。
利子、配当、賃料収入など投資による収益を指す場合や、有価証券や不動産等の権利自体を売買し、その売買差益を指す場合、又はその両方を含める場合もあります。

日本の所得税法においては、利子所得、配当所得、不動産所得、一時所得、雑所得等に分類されますが、所得税法上、不労所得という分類は存在しません。

現在、不労所得として挙げられることがあるものを具体的に列挙しますと、
(1)預金の利息、貯金の利子(2)株式の配当(3)債券(国債、社債等)の利子(4)不動産の賃料収入(5)株式や不動産の売却益(6)先物や外国為替証拠金取引の売買益(7)生命保険給付金(8)年金・恩給などが代表的ですが、広義の意味で先祖からの遺産の相続や生前の譲渡についても大きな括りでは不労所得に含められるでしょう。
他にも、生活保護受給、賞金付き宝くじ、各種印税なども含める場合もあります。

たとえば、預貯金の利子に対しては、利子所得として一律に税率20%(所得税15%・住民税5%)で課税されています。これは、源泉分離課税方式(確定申告が不要とされる課税システム)に従ってあらかじめ金融機関によって天引きされます。

また、株式等の売却益(キャピタルゲイン)に対する課税方法については、現在、申告分離課税として上場株式の場合10%(所得税7%、住民税3%)、それ以外の株式には20%(所得税15%、住民税5%)が課税されます。
株主が会社から受け取る配当金は、配当所得として課税され、上場株式の配当については、配当金額にかかわりなく住民税を含めて源泉(特別)徴収で課税されます。

私は、不労所得とは銀行預金の利息収入などの安易な利得に限って使用すべきだと考えています。
邱永漢氏によると「お金をたくさん持った人が定期預金をしていると思いがちだが、お金儲けのうまい人は大抵、お金を借りる方にまわっていて、お金を預けたりしない」(『嫉妬の世の中をどう生きる』)し、お金を預けて利息収入を頼りにしているような人とは「(1)コツコツと貯めるだけでお金の運用の仕方を知らない人、(2)定年退職をしたあと定期預金の利息を老後の生活にあてている老年層、(3)未亡人や子供など遺産で暮らしている人、(4)国家の補助で暮らしている人」などのことだ、と書かれています。
邱永漢氏の言う「お金を預けて利息収入を頼りにしているような人」の利得を「不労収入」や「不労所得」と呼ぶべきであって、お金の運用に長けた人のそれは別名称で区別すべきだと考えます。

私は、預金利息などの安易な利得を除く「不労所得」とは、株式や債券、為替などの実物商品に対する「デリバティブ(derivativeの原義は「派生したもの」で、金融派生商品ともいう)」のようなものだと考えています。
また、そうした理解のしかたの方が、変な誤解を生まないで済むのではないかと思うからです。

そもそもデリバティブとは、伝統的な金融取引(借入、預金、債券売買、外国為替、株式売買、保険の分配金等)や実物商品・債権取引の市場での相場変動によるリスクを回避するために開発された金融商品の総称であるとされています。
厳密に言えば、実物商品や諸権利などの取扱いをおこなう当事業者が、実物の将来にわたる価格変動を回避(ヘッジ)するためにおこなう契約の一種であり、原資産の一定割合を証拠金として供託することで、一定幅の価格変動リスクを、他の当事業者や当事業者以外の市場参加者に譲渡する保険(リスクヘッジ)契約の一種ということになります。

また、レバレッジ効果(てこの原理になぞらえ、少ない資金で大きなリターンが期待 できることをいう)を有するため、たびたび投機的な運用資産として、多額の損失を生じ、問題となる場合があります。

ここでは、さしあたりデリバティブの将来の相場の変動要素に対する「保険(リスクヘッジ)契約」と、それに付随する「レバレッジ効果」のもつ投機的性格のことが問題となります。

私達のいっけん安定的と思われる勤労所得や給与所得、様々な事業報酬等には、将来の変動要素が無いわけではありません。職場のリストラや企業倒産、売上の急減などにより、生活の安定が乱される可能性は大いにありえます。

また、レバレッジ(leverage)効果とは、一般に経済活動において、他人資本を使うことで、自己資本に対する利益率を高めること、または、その高まる倍率のことを言いますが、元来は不動産用語で「不動産投資を行う際に、調達する資金を自己資本と借入金を組み合わせて行うことにより、全額自己資本で調達した時よりも、自己資本に対する投資利回りが向上する効果のこと」といったほどの意味になります。

不労所得も不動産を担保とした不動産取引や金融分野における証拠金や株式などを担保として行われる信用取引、企業が事業拡大や設備投資のために自社の資産(自己資本)を担保に金融機関からの借入れを行う行為などもレバレッジ効果を効かせた経済活動です。
もっと身近な例でいえば、住宅ローンも頭金(自己資本)の5-10倍ものレバレッジ効果を効かせた信用取引である、といえます。

こうした金融機関などの借り入れにより、他人資本を導入することで、自己資本以上の投資を行うことが可能となります。他人の預け入れ預金を元に銀行の営む事業そのものもレバレッジ効果を前提にしたものです。
しかし、不用意にレバレッジ効果を高く設定したり、十分な担保が得られずに信用度合いの低い投資先への関与が高まれば、逆にリスクが増大していきます。すなわち、投機的性格が高まっていくことになります。

いわゆる、我々の不労所得にも、勤労所得の一部を活用し、将来のリスクに備えるための保険的要素が多分に含まれます。
また、勤労所得の一部を預金や株式・投信などで運用して、単に利子所得、レバレッジのかかっていない自己資金のみでの株式運用による配当所得(インカムゲイン)、キャピタルゲイン(差益利得)等を得るだけならば話は別ですが、少ない自己資金でより多くの利子や利息所得や株式運用による配当所得、各種運用益の分配金、キャピタルゲイン等を得るために、信用取引や証拠金取引や金融機関などからの借り入れで投資にレバレッジを効かせて大きな値上がり差益を狙うような方法には投機性が高まり、それに伴いリスクも増大していきます。

こう見てくると、やはり私には、預金利息のような単純な利得以外の、自らリスクを取り時間と失敗を重ねて蓄財能力を磨き、レバレッジを効かせた金融の仕組みを駆使して得られた不労所得とは、勤労所得に対する「デリバティブ」のような位置づけになるように思われるのです。いわば「勤労派生所得」や「労働派生所得」と名付けた方がピッタリのようです。
「不労所得」と言うから、いかにも労働に依らず、左団扇で所得を得ているように印象付けて、価値の低い棚ぼたのような所得だから、大衆を味方につけて報復的にウンと税金でも掛けて巻き上げてやれ、という発想も生まれてくるように思われます。

そもそも、いうところの「不労所得」は容易に得られる利得ではありません。そうした利得を得ることのできる高度な知識と技能を磨く必要があります。
200倍といったような大きなレバレッジの効く投機性の高い賭博のようなFX投資が喧伝されていますが、大儲けの話を最近とんと聞きません。
大きなキャピタルゲインを狙って賭(かけ)に出ても、単純な株取引の世界では大きく値下がりして損失を出してしまうことだってありますし、投資家は自らリスクをとって売買をしています。預金利得のような比較的安定的なリターンを期待することはできません。
こうした大きなリスクを取って得た利益には、基本的には源泉課税で原則20%、総合課税なら最高50%の税金が発生しますが、逆に、その損失には繰越や他の所得との損益合算も許されません。おかしな話です。

金融の実物商品よりも金融派生商品の方が、仕組みは複雑巧妙で、基礎知識と取引テクニックにある程度の熟練度が無ければ、取引参加自体に困難が伴うように、不労所得でも大きな利得を得ようと思えば、勤労収入のように自らの時間と労力を差し出せば得られる給与所得のようなわけにはいきません。預金のような単純な仕組みは、苦もなく誰でも利用できますが、そのぶん利息等のリーターンは不労所得の種別中では最低水準となります。
現代は、こうした複雑な金融デリバティブを駆使したような取引が大金持ちだけを相手にするプライベートバンクやヘッジファンドのお世話にならなくとも容易に個人レベルでネット取引が可能となってきています。平均株価に連動するインデックスファンドや市場に上場するETF(上場型投信)を購入すれば良いわけですし、主要各市場に分散投資する自分なりのポートフォリオを組み立てて運用すれば有効です。また、格付けに高い国債や債権を組み入れれば運用の安定性が増すでしょう。さらに、市場の動向を予想して先物市場の株や商品の売りと買いの取引を組み合わせれば、ヘッジファンドのやっていることと同じような仕組みを作ることもできるようになってきています。

日本が債務大国になったのは「過剰な富に対する課税を怠った」こと、最も裕福な不労所得者層が税金を逃れようとした結果、日本にほぼ慢性的な財政危機が生まれたとする見方が根強くあるようです。
日本のような様々な格差の少ない国でも、民主政治の本質は、悪く言えば大衆迎合的なポピュリズム(populism)ですから、いわゆる「金持ち」バッシングは常に大衆受けのする政策として人気があるわけです。
しかし、これは単なるレトリックやこじつけであり、大きな認識間違いであるし、事実に反します。

マルクス経済学流の労働価値説では、価値の源泉は投下された労働(または労働時間)であるとの観点から、不労所得は付加価値を産まないとの理由で「無価値の富」とも見なされることがあります。

いわゆる、この「無価値の富」と呼ばれるものには、その代表選手としておもにFinance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産)産業とその不労所得者の収入があり、それらの頭文字を取って一般にFIRE分野と一般に呼ばれています。
このFIRE分野にこそ、私の名付けた「勤労派生所得」や「労働派生所得」を生み出す仕組みがあります。しかし、この分野を「無価値の富」の分野だと言われれば、ここで働く勤労者はみな虚業労働者とでも呼ばれてしまいそうです。

そもそも実労働以外で生み出される価値や富を「不労所得」といってみたり「無価値の富」と指摘してみたりするのは、農本主義(あるいは重農主義)的な農民を土地に縛り付けて労務に駆り立てておかなければ収穫物の一部を安定的に租税として取り上げることができなかった古い時代の国家主義的な権力者の発想なのです。
そこでは、勤勉(農作業)に価値が置かれ、実態以上に農民の地位が祭り上げられ(士農工商と権力者の次に位置づけられた)、土地からの移動を厳しく制限されていました。
農業による価値は、米作では1粒の種籾から1千粒の米が収穫できたように、約1千倍の価値を産みましたが、増産を図ろうとすればどうしても農地の開墾・拡大が必須です。しかし、土地は限られたものですし、耕作民にも制約があります。怠け者や不虞者は蔑視の対象でした。また、そうした思想や道徳観が必要でした。農作物の収穫は天候に大きく左右されます。
ところが、工業化社会では、一定の限られた工場用地で、一定の労働者を雇い、さらに機械化によって合理化でき、原料の供給が途絶えなければいくらでも増産が効きます。天候要因には左右されません。農耕に依るよりも、工業化に力を入れた方が小規模で短期間に多くの付加価値が創造できたのです。

農業も工業化も直接的な労働によって価値が産み出せれますが、一旦生み出された付加価値や富は、銀行業のような余剰価値や富の蓄積を需要と供給という格差を埋めることでその落差を利用して新たな価値や富を生み出す産業を育ててきました。
直接的な労働によって一旦生み出された付加価値や富は、モノやお金に置き換わって消費されますが、その対価はさらに付加価値を伴って消滅することなく膨らみ続けます。資本主義の本来の性質がそこにあります。

資本主義の宿命ということで言えば、付加価値や富の偏在は逃れ得ませんし、その格差を上手く埋め合わせることによって資金需要と供給の溝を埋め橋渡しをすることで銀行、証券、保険などの金融機関や不動産業といった産業が成り立っていますが、そうした富の偏在はひとびとのこころに変化を及ぼします。社会の成熟化は中間層(ボリュームゾーン)の拡大によって実現されましたが、この中間層の影響力と発言権も大きくなります。

邱永漢先生に『嫉妬の世の中をどう生きる』という著書があり、その中に次のような言葉があります。
「法律がお金を集めすぎた人を許さないのではなくて、お金持ちになりそこなった人々の嫉妬心がそれらの人々を許さないのである。だから、嫉妬の世の中を無事平穏に生きるためには、本当にお金持ちになったら『お金のないフリをする』以外に方法はない」

「大衆社会で一番怖いのは、平等化からくるねたみだと思う。ねたみというのはね、上下の差が小さくなったときに起きるものです」

もしそうであるならば、こうした「不労所得」に対する嫉妬やねたみは、そこそこの生活を享受する中間層=「お金持ちになりそこなった人々」のものです。
社会の中間層の増大は比較的福利に厚い大衆社会を形成して自足傾向を生み、まだまだ上のあることを許容しがたい雰囲気を醸成するものであるようです。行き過ぎた大衆化も確かに怖い現象ですね。

しかも、政府は自らの過去から犯してきた政策の大失点は隠して、大衆のご機嫌を窺い雰囲気を読み、しばしば劇場型のパフォーマンスを演出して、大衆受けのする「不労所得」向けの増税強化に動いています。
どうやら、2014年からの消費税引き上げに先行して、所得税と相続税の「富裕層増税」が決まったようです。

農耕を基盤とする古来よりある搾取のイメージが強い租税のあり方や懲罰的な色彩の強い徴税のあり方からそろそろ脱するべきです。これから移行すべき税制は、国家の干渉や規制を減らし、居民のいま有るものから取り上げることはなるべく減じて、居民の経済的な自由も最大限尊重し、その最低限の原資をもとに、分相応な姿を取り戻すと共に、国として無から価値を生み出し、積極的に国の収入を生み出していくくらいの攻めの姿勢が政府には必要ですし、その方向を指向すべきです。こうした事例はシンガポールなどの進んだ国々に学ぶことができます。
かつての北欧の国のように、金持ちを狙い撃ちして、国から追い出すようなやり方は賢明ではありません。結局、懲罰的な富裕者課税によりイケアなどの優良企業の経営者や有名プロスポーツ選手は海外に移住してしまい、歴史が証明するように、その反省から税制の変更が迫られたのです。
消費活動は活発だが、あまりお金に縁のない中間層(ボリュームゾーン)よりも大金持ち層の方が税貢献度は高いのが現実です。消費税の引き上げは、明らかに中間層をターゲットにしていますが、痛税感の鈍いところに切り込む、狡い税強化策ともなります。
成功を収めたひとや、才能のあるひとを罰しようとするような懲罰的な税制は、富裕層の国外脱出を誘発するだけです。結局、富裕層に重税を課す国には簡単に国外逃亡できない貧乏人しか残らないことになり、益々国家は税金の不足を慢性的に抱えてしまうことになるでしょう。

今回の「まとめ」となりますが、投資とは自己責任で、自らリスクを取って行う行為ですから、他人任せでは絶対にダメです。簡単にお金を投じるだけで、リスクが無く元本保証で「不労所得」が転がり込むような都合の良いニセ投資話には乗るべきではありません。
リスクは取りたくないが確実に儲けたいというひとは「私はべつに儲からなくても良い」といっているのとまったくの同意です。このことに気付くべきでしょう。
そもそも「不労所得」と呼べるものは、銀行預金程度の元本保証で安定利得が狙えるものだけです。
私のいう「勤労派生所得」とは、投資行為によって発生するものですが、それはサラリーを得たり、事業を起こして得られるキャッシュとは違うルールによって得られるもののことです。参加を望むなら、最低限そのルールは理解しておかねばなりません。
仮に多大なサラリーや事業利得を得ることには成功しても、投資で失敗して無一文になる人もいます。直接稼ぐという方法とは異なるルールや技法を駆使して、稼いで纏まったお金を今度は上手くリスクを回避しながら、守り増やすことが必要になります。投資で悩める時に適切なアドバイスを、迷った時には解消法を持ちかけられる投資の先達を持つことも重要でしょう。
投資の先達とは、単なる営業や専門アドバイザーや顧問ではなく、実際に成功して自分より優れた実績を上げている尊敬に値するひとのことです。

投資は確率のゲームという側面も強く、個人であっても株、債券、不動産とも実物資産の値上がりだけでなく、株・債券・REITの先物を値下がり局面で高く売っておいて後で安く買い戻すことで利益を得ることも可能です。または、双方の組合せで、ゲームに勝つ確率を高めて比較的安全なポジションを確保しながら投資利益を確保することができます。もちろん望めば高いレバレッジを掛けることもできます。あとは、お金と知識と経験とカンがものをいう世界です。

経済的な自由と安泰なリタイアには相応なお金が必要です。そうした十分な余裕と豊かさを享受することのできる「中金持ち」をめざす「賢者」となるためには、多くの経験者が最初はハードワークやオーバーアチーブ( 期待を超える結果を生み出す)のサラリー・パーソンの仕事からスタートしています。そして途中で一流の仕事や圧倒的な実績を評価されながら独立して事業や投資で成功しています。そのビジネスからのキャッシュフローの一部をいわゆる「勤労派生所得」(=報酬)を安定的に生み出す投資に充てて、さらに成功を重ねていきます。

こうした人のお決まりの法則があります。
「お金持ちになれる人は『成果』に応じて報酬を受け取る。
   お金に縁のない人は『時間』に応じて給与を受け取る」(H.エッカー)

結局、自らの時間を供出・束縛されて対価として受け取った給与だけで大金持ちになれた人は殆どいないのが現実なのです。
2013.04.05

 

2013/09/10