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中国名言と株式紀行(小林 章)

第124回 四000年を学ぶ中国名言/「玩物草紙はご存じですか」

『九仞(じん)の功を一簣(き)に虧(か)く(九仞功虧一簣)』
                                 出典【『書経』周書・旅獒】
[要旨]あと一歩のところで失敗し、長い間の努力が無駄になってしまうことをいう。
または、事が今にも成就するというときに、手を抜いたために物事が完成しない、または失敗すること。
ことわざの意味に忠実に解釈すると、非常に高い山を築くのに、最後の「もっこ」1杯の土が足りないために完成しない。長い間の積み重ねてきた努力も最後の少しの過失や気の緩みからだめになってしまうことのたとえです。
「仞」は古代中国では高さや深さの単位であり、したがって「九仞」とは非常に高いという意味になります。「九」は高さやその規模を強調するための数詞。「簣」は土を運ぶ土木作業用のカゴで「もっこ」のこと。「虧く」は損なうことで「欠く」と同意味です。
将に高い山を築くのに、最後にもっこ一杯の土を欠けば完成しないとして『書経』周書に「山を為ること九仞、功一簣に虧く」とあるのに基づきます。

しかし、俗に「九仞の功を一気に虧く」と誤用されることがありますが、これでは「一簣」が同発音の「一気」と置き換わり、ことわざ使用者の努力や勢いは感じますが「せっかく高い山を築いたのに、一気に崩してしまう」という意味になってしまい、まったく別の意味となってしまいます。やはりことわざは、誤って覚えるととんだ恥を掻いてしまうことになります。
これこそ「九仞の功を一簣に虧く」の好例かも知れませんね。気を付けたいものです。

「一簣」は『論語』の孔子の言葉「子曰く、譬えば山を為るが如し、未だ一簣を為さずして、止むはわが止むなり」(子罕篇)の所でも詳しく解説しましたが、ここでも土砂運搬用のモッコ1杯分の土が問題となっています。

この故事の由来はこうです。
古代商(殷)の紂王は非道であり、大宮殿を改修し、放蕩を好んだために民は苦しみました。紀元前1051年に、周の武王は先王・文王の意志を引き継ぎ兵を起こして殷の紂王を討ち、殷を滅ぼしてあらに周王朝を打ち立てます。まもなく周王朝の威光は遠く四方の蛮夷の国々にまで及び、朝貢のために各地から貢物が献上されてきました。そうした諸国のなかに、西方の「旅」という国がありましたが、その「旅」からも獒(ごう)が献上されました。「獒」とは高さ四尺に及ぶ大犬のことで、よく人の意を解すという珍獣でした。この大犬は武王を見ると地に伏して、それがまるで君主への拝謁の仕方にそっくりだったので、この贈り物をまえにして、武王は大いに喜び、夢中になって愛玩します。
これを見て、側近である召公が武王宛に「旅獒」という題名の手紙を書いて、珍奇なものに心を奪われて、せっかくの周王朝の創業を危うくしてはならない、と諄々として武王を諫めたと伝えられる言葉が『書経』の「周書・旅獒」篇に記されています。

召公は武王に向かって「ああ、明王徳を慎めば、四夷ことごとく賓す(来朝す)」と言い、続けて「耳目に役ぜられざれば、百度惟れ貞し、人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う」と述べています。
つまり、耳目の欲、物質的な欲望に溺れてはなりません。また、玩物に心を奪われてはなりません。そんなことをすると、徳を失い、人の道に叶う気持ちを喪失してしまいます、と諫めています。

「嗚呼、夙夜勤めざるあるなかれ、細行を矜まずんば、終に大徳を累せん。山を為ること九仞、功を一簣に虧く。」
王たるものは、朝早くから夜遅くまで、常に徳に励まねばなりません。些細なことだといって慎まないならば、ついには大きな徳をも傷つけ失うことになりますよ。
召公は最後に「山を為ること九仞、功を一簣に虧く」と述べたのでした。
武王はこの召公の文章を見て感動し、心を入れ替えて、命令を下して各諸侯国の貢ぎ物を皆に分け与え、それからは精励して国政に当たり、周王朝の世を盤石なものとしました。

この召公が武王を諫めた文章の一節のなかから『玩物喪志』という四字熟語が出来ました。
意味は「珍奇なものを愛玩し溺れたり、目先の楽しみに熱中して、大切な志を失うこと」ですが、人は往々にして玩物に溺れてしまう弱い面があり、そうした人を戒めるときに用いられます。武王も愛らしい「旅獒」の虜になりました。
現在中国でも、この熟語のとおり、周りからちやほやされて富に近接する立場の政府の高位高官は、その地位と権益に磁石に引かれるように集まってくる金や物に心を奪われ、政務が疎かになるどころか益々盛んに地位の確保に取り組むことでいよいよ集まってくる賄賂も増えるという現象が常態化しています。

澁澤龍彦に『玩物草紙 』という作品があります。廃刊となった今は懐かしい『朝日ジャーナル』に掲載された幼年時代の回想的エッセイを集めた作品です。
もちろん澁澤氏は恐ろしく博学の人ですから、この作品は『玩物喪志』をもじって題名とされています。澁澤氏の「玩物」とは自分自身、あるいは男性器、虫、ミイラ、枕、蟻地獄、彗星、ナマケモノ、血洗島の家、コンデンスミルクのラベル、春画、ルナティック、タンポポ(蒲公英)、ピストル、真空掃除機のなかに吸いこまれるゴミ、デジャ・ヴュとジャメ・ヴュ、フランスの好色文学書、ポルノ書籍、ネオテニー、天ぷら、美術館、トドの剥製、ミイラ、トラツグミ(ぬえ)、グリム童話、地球儀、カフスボタン、輪鼓(りゅうご)、ディアボロ、独楽、人形、ダイカストなどのことでしたが、または正確に述べればそれらにまつわるシンボリックなオブジェのイメージのことだったのかもしれません。

澁澤氏の言葉では「潜在意識の古層に巣くっていて、いまだに解明されるにいたらない何かのシンボル」=「玩物」ということのようですから、澁澤氏の愛すべき観念中の玩物達のことです。
「人間誰しもそうだと考えられるが、ほんのちょっとしたメカニズムを狂わせれば」すなわち「一歩踏みはずせば」容易にひとの快感の琴線に触れるため玩物の虜となりかねない、と澁澤氏は述べています。そんな危うい立場が「玩物」には備わっているのでしょう。
まあ、マニアや「おたく」のたぐいは世に蔓延(はびこ)りますから、それも肯けます。
文章中に「フェティシズムとは、要するに玩物趣味だ」との指摘もありますから、世の中の身体フェチや動物フェチや持ち物フェチや衣装・下着フェチ、はたまた匂いフェチ、味覚フェチ、乗り物フェチなどなどもある種の異常や倒錯的といわれますが、誰しも何らかの嗜好傾向は持ち合わせているのではないでしょうか。

『玩物草紙』のなかで印象的だった記述があります。澁澤氏はロラン・バルトのサドについての著述に触れ「バルトというひとは、おかしなひとで、サドの生涯をざっと略述するのに、こんなつまらない、どうでもよいような瑣末事を、さも大事件であるかのようにピック・アップする」と書いています。
ここで言われている些細なこととは、サド侯爵がヴァンセンヌからバスティーユ牢獄に移送された時、自分用の大きな枕を持っていくことを許されなかったことで大騒ぎをやらかした、という事実でした。
「見るひとが見れば、苦難にみちた11年間におよぶサドの獄中生活には、枕のことなんかよりも、もっともっと重要なことがたくさんありそうにも思われるのに、あえて枕のような、片々たるオブジェに目をつける」と書いています。
澁澤氏自身が、ロラン・バルトのようにオブジェにこだわる「目のつけどころの良さ」に着目する人だからでもあります。また、誰もが見落としがちな「物」にこだわり、片々たる物から唯物的思考を出発させる優れた作家・花田清輝の著作をこよなく愛したのも澁澤氏その人でした。
                              62「玩物草紙はご存じですか」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/07/03