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中国名言と株式紀行(小林 章)
第110回 四000年を学ぶ中国名言/「トラとハエ退治」
『驥尾に附して行いますます顕る(附驥尾而行益顕)』
出典【『史記』伯夷列伝篇】
[要旨]優れた人物のあとに付き従うことで、後世に名を残すこと。また、先輩の取りなしによって、後輩の名が益々高まること。
「驥(き)」とは、1日に千里を走るという西域で産する駿馬のことで、悍馬(かんば・暴れ馬)のことです。この名馬の尻尾に付いていけば、自力では遠くまでは飛べない蠅(あおばえ)でも、1日に千里のかなたでも付いて行き、想像もつかない遠地までも至ることができるのです。
司馬遷の『史記』に「蒼蠅(そうよう)驥尾に付して千里を致す」「伯夷・叔齊は賢なりと雖も、夫子を得て名は益々彰れ、顔淵は篤学なりと雖も、驥尾に附して行い益々顕る(伯夷・叔斉は賢人ではあるが、孔子(夫子)が二人を賞賛したことで、その名前が世間に益々知られるようになり、顔回(顔淵)はよく学問に励んでいたが、孔子というすぐれた師に従って学問に打ち込んだことによって、その行いがますます世に知られるようになった)」とあるのに基づきます。簡単に「驥尾に付く」とも言います。
顔回は言わずと知れた孔門十哲の一人で、芸術家肌で清貧で勉学に一心に励み、もっとも孔子に愛された弟子でしたが、惜しくも夭折してしまいます。
伯夷・叔斉という二人は、殷代末期の孤竹国の王子の兄弟で、高名な隠者であるとされます。儒教では聖人扱いとされています。
伯夷が長男、叔斉は三男ですが、父親から弟の叔斉に位を譲ることを伝えられた伯夷は、遺言に従って叔斉に王位を継がせようとしました。しかし、叔斉は兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、あくまで兄に位を継がそうと辞退します。そこで伯夷は国を捨てて他国に逃れますが、叔斉も位につかずに兄を追って出国してしまいます。
二人が周の国を訪れた時、先王・文王が崩御し喪も明けないのに、次王・武王が戦闘準備に就き殷の紂王を討つことを不孝・不仁であると諫めた人物です。この後、二人は周の粟を食べる事を恥として周の国から離れ、武王が新王朝を立てた時は首陽山に隠れて薇(ぜんまい)など山菜を食べていたが、最後には「あの首陽山に登って、その薇を採って暮らしている。暴力によって暴力にとってかわり、その間違っている事に気づきもしない。神農や舜帝、禹王が作った美しい世の中は今はない。私はどこに帰依すればよいのだろう」という逸詩「采薇の歌」を残して餓死したとされます。
孔子は『論語』において、伯夷・叔斉は事を憎んで人を憎まない人であるから、怨みを抱いて死んだのではない、というように述べています。
一方、、司馬遷は『史記』において「采薇の歌」を挙げ、伯夷列伝を『史記』列伝の筆頭に置いています。『史記』を貫く一大テーマのひとつともいえる「天道是か非か(正しい人が不幸な目にあうこと)」の象徴とされています。
司馬遷は「彼らは怨みを抱いて死んだのではないか?」と問おうとしているのです。伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝まで約二千年の歴史を司馬遷は宮刑による出獄から4-5年で書き上げます。紀元前91年には約130篇536,500字の書が成立して、4-5年後の紀元前87-86年に没しています。完成した『史記』とその副本(写し)は司馬遷の娘に託され、武帝の逆鱗に触れるような記述があるために隠匿されることとなり、宣帝の代になり司馬遷の孫の楊惲がようやく公表したとされています。
驥尾に付して千里に至った「蒼蠅」とは、顔回に対して言われていますが、ハエ(あおばえ)に喩えられた顔回も可愛そうな気もします。まあ、無理をして早くに夭折してしまったので、後の孟子のように書物などで、その業績と思想を残すこともできませんでしたから仕方がないといえばそうかも知れません。しかし『論語』では、良いところを見せて師である孔子の思想を上手く引き出す重要な役目が与えられていますから、その存在意義は
「蒼蠅」に喩えられたのでは少し可愛そうになります。
話は大きく変わりますが、中国共産党の総書記に就いた習近平氏は、党員の腐敗に関しては「老虎(トラ)と蒼蠅(ハエ)」を同時に叩くことで、決して大きな腐敗も小さな腐敗も見逃さない、と最近何度か重要講話として述べています。
それは、中国に君臨する党が庶民からの支持や黙認、発言回避すら得られず、近い将来必ず党の存亡が取りざたされる事態がやってくることが危機感として認識されているからです。そうした意味では、党の内にいる者と外に置かれた者との格差が顕在化して、党の内にいる者ですら自らの立場に醒めた冷たい目が注がれていることを認識せざるを得ないところに来ているのでしょう。
かつては国の復興と発展、災役や政治の冒険からの復帰、改革開放といった未来志向の御旗を掲げることで、党内の人々への目を逸らすことができました。彼らは密かに階層優位を愉悦できたのです。
密かな愉悦を踏みはずし、目立ちすぎた者や庶民の利益を奪いすぎたり傷つけたりしてやりすぎた者達が見せしめとして「落馬官僚」の汚名を一身に担って、その他大勢の人達の安寧を担保させたのです。
ごく最近の中国の若い優秀な学生の、官僚や100余りの統廃合が繰り返されて再編・巨大化した国営企業への就職指向が顕著だといいます。顕在化した優位性を中国人は無視できません。勝ち馬に乗る、つまりいつものように「砂糖に群がる蟻」状態がしばらくはバブルのように続き、次の情勢の変化によりやがて急速にしぼんでいくはずなのです。かつての有名民営企業や起業への意識は旗色が多少悪くなっているようです。
「蒼蠅」とは、小さな腐敗(庶民の周囲でブンブンうるさく飛び回るような煩わしい小さな腐敗を行う中央や地方の小官僚達)のことですが、老虎とは中央地方の要職を務める有名幹部たちによる腐敗のことです。大小や虎蠅にかかわらず、不正や横暴を働く党幹部や党員の処分は、身内の者(一家人)に対する処罰となりますので、周囲の人間関係や利害も絡んで大変な困難を伴う面があります。しかし、そのことを放置しておいたり、見て見ぬふりをすると「党」への信頼を失い、いずれ嫌悪や憎悪の対象に置かれることになります。いつか、腐った卵を売る店が中国本土にも現れる日が来るかも知れません。
台湾では、店で売っている腐卵は食べられる生卵よりも高く売られているそうです。それは、不正を働いた政治家に投げつけるための卵だから貴重なのです。
ひとは見ようとするものしか見ることができないといいます。
庶民の周囲にも「老虎と蒼蠅」はようやく見える範囲に存在し、日本の時代劇にある悪代官と三河屋の癒着や横暴の弊害は、いずれ市井に身をやつす仮の姿の遠山謀や鬼平や大岡某や天下の副将軍やはたまた暴れん坊将軍が成敗してくれることが望まれます。そうすれば庶民の長年の胸の支(つか)えも晴れるはずですが、まずそんなことは滅多なことでは起こりえません。仮に不正を働く者も、中国の人間関係の絆の強い社会では、幾多の人の利害を代表しているに過ぎない場合が殆どなのです。
芋ズル式に根絶やしにするには、古代のように親類縁者、内通者を皆殺しにしてしまうしかありません。古代では、残虐なようですが、それが粛正した側に累が及ばない一番の方法であることが知られていたからです。まあ、それでも一族やその地の居民の間には怨みが残ったといいますから、完全な排除や駆除はほぼ不可能というものです。
しかし、現在こうした方法を採ることはできませんから、粛正する側と粛正される側の妥協が、法を使って上手く収めるしかありません。または、暗黙の契約によって、絡む利得や利権を特定取引や粛正する側が温情で目をつぶって適正な比率で分け合うことが考えられます。不正を犯したからといって、すべてを奪ってはならないということです。中国伝統の知恵で、せめて面子は潰さないでおこうというわけなのです。
「ハエ」にすら「反腐」の戦いはやっかいだと思えるのですから「トラ」へのトライアル(挑戦)は大変にハードルが高いことが推測されます。習近平氏はどうやって手を着けようとするのでしょうか。すでに、十分な証拠固めに動いているのでしょうか。
それとも、掛け声やキャンペーンだけで終わるのでしょうか。まあ、しかしその選択は、ああまで仰るのですから、当然あり得ないでしょう。
55「トラとハエ退治」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2013/06/05