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中国名言と株式紀行(小林 章)
第98回 四000年を学ぶ中国名言/「寛容と寛解」
『寛なれば則ち衆を得(寛則得衆)』
出典【『論語』尭曰篇】
[要旨]民心をつかむには寛大であることが必要だ、ということ。
原文では「寛則得衆、信則民任焉、敏則有功、公則民説」[書下文:寛(おおらか)なれば則(すなわ)ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功あり、公なれば則ち説(よろこ)ぶ]です。概訳は、第1に寛大であれば大衆の人望が得られ、第2に信(まこと=信義)の情があれば人民から信任(頼りに)され、第3に機敏であれば仕事で功績(成果)を上げ、第4に公平であれば人民に不平不満が無くなり喜ばれる、といった意味となります。
この言葉は、古代中国の伝説上の天子・尭のものとされ、孔子が理想の君子とする尭・舜のうちの一人で、国を統べる心得を述べた言葉です。この「寛、信、敏、公」の4箇条が統治者としての要諦だと述べられています。
古代中国の三皇五帝といわれる時代に、尭は天体を観測して暦を作り、舜を登用して洪水を防ぎ、人民の暮らしを安堵したといわれています。のちに尭は舜に王位を譲ります。
同じく『論語』陽貨篇のなかでは、弟子の子張が「仁」について孔子に問います。原文では孔子は「恭寛信敏恵。恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人」と説いています。概訳は、恭(慎みぶかけれ)なれば人に侮られることはなし、寛大であれば大衆の人望が得られ、信(まこと)の情があれば人民から頼りにされ、機敏であれば仕事で功績を上げ、恵(人に恩恵をほどこせ)なれば人はついてくる、といった意味となります。この「恭、寛、信、敏、恵」が人としての道(=仁)の5箇条というわけです。
孔子が述べた国を統べる心得の4箇条も、天下に行われる「仁」の道の5箇条も大変似ています。これは孔子が「理想の天子像」としての尭・舜の天性と、理想として天下に行われるべき「仁」(=人としてのあるべき道)がほぼイクォール(同じ)であったことの証拠でもあります。
少し前にも、何度か指摘しましたが、孔子以前には生まれながらにして統治者は「仁」の素質を備えていると見なされていました。生来説です。しかし、孔子は夏・桀や殷・紂が王の時代に国が乱れ、民を苦しめた歴史の現実を踏まえて、別の考えを提示します。すなわち「理想の統治者」=「仁」者であるべきであり、生まれながらに統治者に「仁」が身に備わっているわけではないとの立場に立っています。したがって、統治者であっても、尭・舜に倣って「仁」の道を備えるべく努力しなければならないといっているのです。
これに対して、後の法家の始祖である韓非は、凡帝や愚帝に「仁」による統治能力など望むべくもないのだから、理想的な法を定めて法規に則った国の統治制度を整えるべきだと唱えました。
こうした事情を鑑みると、孔子の「理想主義」に対する韓非の「現実主義」ということが鮮明となります。
さて、今回取り上げる「寛」ですが、統治上の要諦の一つで、民心をつかむ上で重要だとされています。寛大とか寛恕とかの用法が思い浮かびますが、漢字の会意は「家の中にいる体が丸々太った山羊」を意味し、家中に余裕があるさまを言った漢字です。これより転じて「1.空間が広い、ゆとりがある。 2.心が広い、心にゆとりがある。 3.のんびりする」の意味が派生しました。対義語は「急」です。
『論語』で孔子が述べている「寛」とは「厳」に対峙するもので、武力による厳格・厳罰・恐怖政治ではなく、ある程度の民意に鑑みた政治と言うことになるのでしょう。
「寛大」とは、一般的な辞書によれば「度量が大きく、思いやりがあり、むやみに人を責めないこと。また、そのさま」とありますから、力でもって脅すようなことではなく、一定の民意をくみ取る統治者の政治的態度であるのでしょう。
「寛」を冠するする代表的な言葉に「寛容」があります。
「寛容(英語:toleration)」とは自分の信条と異なる意見・宗教を持っている他人や異なる民族の人々に対して一定の理解を示し許容する態度です。または、自己の思想や信条を外的な力を用いて強制しないことを意味します。
意外にも、日本語の「寛容」は、明治になって英語の「Tolerance」を和訳した造語だそうです。英語の「Tolerance」の語源を調べてみると「endurance, fortitude」とあり、もともとは「耐える、我慢する」という意味をもつ言葉であるようです。これが次第に「相手を受け入れる」の意味をも含むようになったようですが、無条件に相手を受け入れるというより、自分の機軸にあったものだけを許す、という意味あいが強いものです。
これは「寛容(Tolerance)」が、近世ヨーロッパ社会において産み出された概念であることに関係があります。ヨーロッパでは、長い宗教戦争などの特殊事情を経て、宗教的な異端者の信仰に対する「寛容」を強要され、それが仕方無しの「許容」であった事情が影響しています。
すなわち「寛容」が積極的に相手を尊重するのではなく「異端信仰という罪悪または誤謬を排除することのできない場合に、やむをえずそれを容認する行為であり、社会の安寧のため、また慈悲の精神から、多少とも見下した態度で、蒙昧な隣人を許容する行為」であったためです。「寛容」という言葉は、なかなかに深い含意をふくむ概念語でした。
同様に、難しい「免疫寛容」という医学・医療用語があります。
「免疫寛容(immune tolerance)」とは、特定抗原に対する特異的免疫反応の欠如あるいは抑制状態のことをいい、自己体組織成分に対する免疫無反応性(自己寛容)はこれに由来します。「免疫寛容」が破綻して自己抗原に対して免疫反応を示すことが原因となる疾病が自己免疫疾患であるとされます。また、全ての抗原に対する免疫反応の欠如あるいは抑制状態は免疫不全と呼ばれ「免疫寛容」とは異なる病的状態です。
いわゆる免疫反応、すなわち「抗原抗体反応」に関連する用語で、多発する現代病のアトピーや食物アレルギー反応や花粉症などの病気との関連で知られるようになりました。
また、医学・医療用語のついでですが、遺伝的(体質的)な問題がからむ病気やいわゆる不治の病である場合、治癒(ちゆ)や完治というのは存在しないことになるため、医学的に「寛解(Remission)」という語を用いる場合があります。
これは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指します。すなわち、一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば「寛解した」と見なされます。
とくに「社会的寛解」の意味でその語を用いることの多い統合失調症においては、その症状により日常生活を含めた社会的な活動がほとんど影響されない程度にまでよくなった場合にそのように言うようです。しかし、その状態を保つために薬を服用し続けなくてはならないなど、一般的な感覚としては明らかに治癒とは異なる状態のことです。
この「寛解」とは「緩解」と同義ですが、私の妻の現在の病気の発症にともなって覚えた言葉です。
「寛解」は、平たく言えば、病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態のこと、または見かけ上消滅した状態のことです。癌(がん)や白血病など、再発の危険性のある難治の病気治療でよく使われますが、私も妻の病気の発症によって知りました。
「寛解」とは、微妙な言い回しであり、危うさをともなう、やっかいな概念です。
完治や治癒の状態でもなく、病原体は顕著な活動を一時的に控えているが、まだ体内に同居しており、ある一定期間は小康状態を保っており、医療現場でいうQOL(Quality of Life:生活の質)は良好に維持されている状態のことです。
医療の歴史をみると、かつて「医療は人を見るものであり、医学は病気を見るものだ」とする考え方が根強くありました。特定の医療行為により「患者の病気は治ったが、患者は死んだ」という状態が問題となった時期がありました。西洋医療の世界での話です。
かたや、漢方や東洋医学の世界では「未病」という概念があります。昔から『良医は未病を治す』という言葉もあります。
「未病」とは「健康と病気の間」を指し、西洋医学では病気と診断されないものも、漢方では対処法があると考えられています。
漢方や東洋医療は「人と病気との関係を見る」からです。
「寛解」とは「健康と病気の間」の問題であり、漢方や東洋医学のもっとも得意とする所の分野の問題だといえるでしょう。そういう意味では、ようやく西洋医学も自身の体の機能不全に関連する「免疫」や自己の細胞に由来する難治性の病の出現により、ようやく漢方や東洋医学の注目し続けてきた医療分野に辿り着くことができたというべきなのでしょうか。
49「寛容と寛解」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2013/05/12