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中国名言と株式紀行(小林 章)

第88回 四000年を学ぶ中国名言/「混沌と矛盾」

『鼎の大小軽重を問う(問鼎之大小軽重焉)』
                                  出典【『左伝』宣公三年】
[要旨]権威ある者を侮(あなど)って、その実力を疑うことの喩え。
鼎(かなえ)は、古来食物を煮るのに用いた三脚の銅器で、上記で言う鼎は中国古代夏の国の禹王が諸国から献上された銅を鋳造して作った「九鼎」と呼ばれる王室の宝物のことで、夏から殷を経て周王朝に伝わり、天子の正統性、地位、権威の象徴となっていました。
時は戦国時代となり、周王朝は衰え名ばかりとなっていましたが、覇者の一大勢力となっていた楚の荘王をねぎらうために周王室から使者・王孫満が派遣されてきました。楚の荘王がその使者・王孫満に意地悪く揶揄する気持ちを込めて尋ねたのが上記の「九鼎の大きさと重さ」についての質問です。「その鼎とやらは、楚に持ち帰れないほど大きくて重いのかね」と。
使者の王孫満も、負けずにやり返します。「王朝の権威と存在理由は、鼎の大小軽重にあるのではありません。周王朝の徳政の及ぶ範囲は確かに衰えていますが、それでも天命が改まった訳ではありません。それなのに鼎の大小や軽重を問うとはどういうことですか」と。楚王は、この言葉を鼻で笑い「九鼎なんて、我が楚国では、折れた矛先を集めてくれば、いつでも作れるのに」と返します。つまり、矛先とは武力の象徴であり、覇王権威の象徴たる「九鼎」の威を借りずとも、強大な武力(=矛)を持って天下を取り、鼎を造り出せるということを言わんとしているのです。のちに荘王は鄭を武力で滅ぼし、晋に戦いを挑みます。楚・晋・斉・秦の四強が武力で睨み合う時代になっていきます。

鼎(かなえ)には、その本来の調理具としての用途は廃れてしまいましたが、現在漢字の用法によって大きく4つの意味があります。

まず、鼎には足が3本であることから、3という数字を表す用法があります。
その代表例が、鼎談(ていだん)[3人で会談すること]や鼎立(ていりつ)[3つの勢力が並び立つ状態のこと]で「三足鼎立」(さんそくていりつ)や「鼎足之勢」(ていそくのせい)などと使用されます。
次が、上記表題のような「権力の象徴」としての用法です。
また、別に「重さの象徴」としての用法があります。
例えば、一言九鼎(いちげんきゅうてい)[一言が九鼎ほどに重みがあること]、または「言重九鼎」(げんじゅうきゅうてい)ともいいます。
最後が「立派なものの喩え」としての用法です。
例えば「大名鼎鼎」(たいめいていてい)などの使い方があります。

鼎(かなえ)は、青銅器のその姿や重厚さ、文様などから「立派なもの」の象徴として独自の存在感を持ち合わせているのです。
その文様には、饕餮(とうてつ)紋が刻まれています。饕餮(とうてつ)とは、中国神話の怪物で、体は羊か牛で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持っています。饕餮(とうてつ)の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意味であるとされます。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになりました。
特に殷代から周代にかけては、青銅器にこの饕餮文が刻まれ、王は神の意思を人間に伝える者として君臨していたことを現したと言われています。
中国では饕餮(とうてつ)は、渾沌(こんとん)、窮奇(きゅうき)、檮杌(とうこつ)とともに、古代中国の舜帝に中原の四方に流された四柱の悪神=「四凶(しきょう)」といわれます。

ちなみに、羊(あるいは牛)身人面で目がわきの下にあるのが「饕餮(とうてつ)」で、「渾沌(こんとん)」は大きな犬の姿をしており、「窮奇(きゅうき)」は翼の生えた虎で、人面虎足で猪の牙を持つのが「檮杌」(とうこつ)ということになっています。

東南アジアには伝説の生物(いきもの)が幾つかいますが、四凶(しきょう)はその一つです。他には「四神(五獣)」(=青竜、朱雀、(黄麟)、白虎、玄武)、「四竜(五竜)」(=青竜、赤竜、(黄竜)、白竜、黒竜)、「四霊」(=麒麟、鳳凰、霊亀、竜)というものがあります。部分的に漫画やドラマの主題や登場人物、芸名、企業ロゴになったりしているスター級選手もいます。

中国に「四凶(しきょう)」という伝説上の生物がおり、その中に「渾沌(こんとん)」という生物は、現在一般的に名詞・形容動詞として一人歩きしています。
おもに、意味としては、天地がまだ開けず不分明である状態、カオス(chaos)やすべてが入りまじって区別がつかないさま、のことをいいます。

似たような言葉に、中国発祥の「矛盾」があります。こちらは、伝説上の生物ではありません。しかし、この言葉は意味が一人歩きをしている、という面があります。
矛盾(むじゅん)とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど論理の辻褄(つじつま)が合わないこと、物事の筋道や道理が合わないこと、自家撞着(じかどうちゃく)ということです。
語源は、『韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語です。「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚国の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話からで、もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤りであり、もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤りとなります。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わないことになります。

現在中国でも、1937年に発表された毛沢東の『矛盾論』という論文が有名ですが、政治課題としての「都市と農村の矛盾」解決などと、用語はよく取り上げられています。

もちろん、私見ですが「混沌」と「矛盾」という2つの言葉は、数々ある漢字のなかでも、本来の語源を離れ一人歩きを始めた、最高の中国の発明漢字ではないかと、私は思っています。
                                      44「混沌と矛盾」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/04/22