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中国名言と株式紀行(小林 章)

第81回 中国・天津から/中国株日記 (39)

【NO.40】中国、天津から(3)
理財という面から見れば、個人が資産形成を行う上で、投資の対象となるのは、何と言っても株式投資と不動産投資は、はずせません。
さらには、通貨の為替や商品相場、などなど資産形成に欠かせないアイテムは数あります。これらはすべて上がったり下がったりの相場を形成するものや現象のことであり、この上下の格差や利差をねらって、利ざやを稼ぐ行為です。
いわば資産形成にエレベーターやエスカレーターという乗り物は欠かせないし、乗り降りが激しければ激しいほど投資チャンスに恵まれるわけです。
このなかで、何と言っても個人が比較的容易に取り組めるのは、株と不動産でしょう。

多くの資産家がこの2つの投資で大きな財をなしてきたのは疑いの余地はありません。更に言えば、その個人が利益を生む事業を保有していれば、投資への原資は太くなり、短期に資産家の道を歩めることになります。
まさに鬼に金棒というべきか、王道をゆくというべきでしょう。

ごく一般の勤労者では給与は限られるし、生活優先で貯蓄に回せる金額は限定的です。さらに、こつこつ貯蓄しても、ある程度の纏(まと)まりのある額に達しなければ、投資も望めません。しかし、こうした地道な努力が、比較的若年で身に付いた人は、投資の機会に多く恵まれることになります。

投資への道は、一般人には常に長距離走なのです。一歩でも早くスタートした人がゴールに先にたどり着けるし、一歩の積み重ねも長期に渡れば大きな差となって帰ってくるものなのです。

この日本という国では、仮に個人が大きな財産を相続しても、何もしないで持ち続けるだけでは三代にして普通の並みの財産となるといわれています。
相続税などで日本の税法制がそうさせるのです。

ところが国をまたげば事情は異なります。

他国の事情を知る一般の日本人は、私のまわりでも意外に少なく感じます。
このグローバル化の時代にです。自らインターネットで海外情報が容易に入手可能なこの時代にです。
まるで、お金や情報に比して、ひとり「人」のみが国境という見えない呪縛に縛られ、一線を越えることにためらいを感じているのです。

日本にいては、その報道ぶりや解説者が偏った先入観を一般人に植え付けてきたに違いありません。あるいは、教師や親や友人がその役割をはたしてきたのかもしれません。

隣国にも、そうした偏った視点が常に向けられています。「中国は必ず崩壊する」「中国のバブルは近日中に弾ける」といった類の本や雑誌や識者が未だに多く目につきます。

この隣国の天津という都市に滞在することの多い私にとって、偏見は無知に等しい、と思えます。異なる視点やものの見方に遭遇し、慌てることが多いからです。

「無知は犯罪」ということが、遠い私の学生時代に言われたことがあります。
たとえば戦争犯罪には加害者と被害者が必ずいて、加害者の国の国民が仮に犯罪行為に直接かかわらなかったにしても、よしんば無知であったとしても、犯罪者の側にはいる、といったような意味で使われていたように思います。

今や「面子(メンツ)」の本場中国でも、「面子だけでは食べていけない」ということが言われる時代になってきました。
先入観無く、現実に対処できたものだけが、チャンスに遭遇する多くの機会に恵まれ、そのチャンスを的確にとらえ、時宜に応じた対応と能力と行動でそのチャンスをものにし、生かすことが出来るのだと確信します。

話が、だいぶ大回りしてしまいましたが、その中国では相続というものに税制面で対処するという考え方がまだありません。これからはどうか、恐らく格差社会の急拡大で政府も不均等、不平等の観点からの何らかの是正策を、将来的に打ち出すときがあるのでしょうが。

この中国では、簡単に戯画的にいえば人民中国成立後、土地は国有化され、人民の財産もほぼ没収されましたので、持たざる者の平等という意識が定着していましたが、それでも隣近所の人の暮らしぶりを比べれば、徐々に日々のやりくりにたけた人もおり、その生活感の差は時が経つにつれ歴然となり、目に余る風になったのを期に、その「資本主義の道」をひた走る者達の意識改革を促し、再び「貧困のなかの平等」という「ユートピアを取り戻す運動」が文化大革命の始まりでもありました。
いっけん、正義や不正をただす「造反有理」の政治運動であったものも、「嫉妬は常に正義に変装して現れる」とよく謂われように、隣人や隣家間の持たざる者同士の嫉妬に起因して燃えさかったという面もあったのです。

「文革」後、巨星(毛沢東)の去世とともに政治の世界から、その拠り所を失ったユートピア派は駆逐され、先富論が容認され、それこそ「豊かになれる者から先に豊かになれ」と、スローガンが置き換わり今日に至っていますが、国の法制では未だに「持たざる平等」が前提に据えられておるために、財産の相続はあっても問題にならない程度にしか考えられていなかったのです。

そういえば中国のことわざ(「論語」)に「有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安」とあって、意味は「人々は貧しさに対して不満を感ずるよりも、不公平に対して不満を感ずるほうが大きい」ということになるそうです。
近いうちに、こうした観点に配慮した税法整備が進むことになるのでしょう。

今の中国の不動産ブームと中国人の不動産への執着は、いったん財産としての「不動産」(国から借りているだけで、私有は認められていない)を所有したなら、必ず子々孫々に残せて、住居には困らせることがない、という思いが強いからでしょう。
衣食住はひとの生活の基本ですが、衣食は本人達の才覚に任せたとしても、住には困らせないという家族主義の延長でもあるのでしょう。

というわけで、やっと中国人と不動産との関係に、私のつたない説明がたどり着きました。
2010/05/14

注)この記事は、過去のものからの再録の形で転載させていただいております。時事的に古い話題が取り上げられていますが、内容的には時間の風雪にも耐えられるものと思い、取り上げさせていただいております。 

2013/04/08