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中国名言と株式紀行(小林 章)

第78回 四000年を学ぶ中国名言/「上達の道あらば、また下達の道あり」

『下学して上達す(下学而上達)』
                                  出典【『論語』憲問篇】
[要旨]初歩的で、身近なことから学んで、やがては高遠な道理を極めること。
この前後全文を示すと「子曰、莫我知也夫、子貢曰、何爲其莫知子也、子曰、不怨天、不尤人、下學而上達、知我者其天乎(子の曰わく、我れ知ること莫(な)きかな。子貢が曰わく、何爲(なんす)れぞ其れ子を知ること莫からん。子の曰わく、天を怨みず、人を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達す。我れを知る者は其れ天のみか)」となります。
概訳は「孔子先生が『私を分かってくれる者がないな』と言われたので、子貢は訝(いぶか)って『どうしてまた先生のことを分かる者がないのですか』と聞いた。先生は言われた『天を怨みもせず、人を咎(とが)めもせず、ただ自分の修養に努めて、身近かなことを学んで高遠なことに通じていく。私のことを分かってくれる者は、まあ天のみだね』と」ということになります。
また、『論語』には「子曰。君子上達。小人下達(子の曰く、君子は上達し、小人は下達す)」という言葉もあり、だいたいの意味は「君子は高尚なことに通ずるが、小人は下賎なことに通ずる」と解釈されます。
儒家の思想では「君子」=「君主」ないしは「王侯や権力者」というわけではありません。むしろ、孔子以降は別物と解釈されますが、それ故に君主や王侯や権力者が、努力して理想の「君子」となるべきだという立場です。この「君子」の対極にあるのが「小人」です。

「小人」という概念は日本には無く、なかなか理解しにくいものです。それは日本に受け入れられた儒学自体が輸入学説であり、権威社会の役に立つ「君子」のみが常に目指すべき理想の像と認識されればよく、わざわざ日本社会に根付いていない「小人」という概念を問題とすべきものではなかったからです。「小人」とは、ただ単に、心の狭い人や気位の賤しい人というわけではなく、取るに足りない人、疎まれる人、さらに忌み嫌われたり怨まれたりする立場の人のことです。国語辞書的には「君子」の対語として「身分の低い人間、教養や道徳心に欠ける人間」とやんわりと、しかし大変曖昧に表現されています。ちなみに「君子」とは「徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のこと」と的確に多くの辞書では表現されています。ですから、本当は辞書的にも「小人」とは「君子」の反対で「徳が無く、下品で、人としてあるべきではない人」と言うべきなのです。中国では、現在でも「小人」の扱いは、それそのものといって間違いありません。
中島敦の小説『弟子』のなかに「上智と下愚」という言葉が出てきます。まさに「小人=下愚」であり「君子=上智」と言ってよいと思われます。

「君子」が現実のことから経験的に学習を地道に進めて、その積み重ねとも思えないような高遠な「上達」の域を目指すのに対して、下愚としての「小人」もまた賤道を極めるような「下達」の道に深く踏み入ることとなります。

『荘子』に、盗跖という極悪非道な大泥棒が出てきます。この盗跖が「小人」の「下達」した見本のような人物です。
〈盗跖の手下が親分の跖に「泥棒にも道がありますか」と聞いたことがある。
跖が答えて言うには「行くところ道のないところがあるものか。泥棒が庫の中をあれこれ想像するのは聖だ。盗みに入るためには勇が必要だ。ほかの者に遅れて出るのは義だ。情勢判断をして可否をきめるのは知だ。泥棒した財宝を平等に分配するのは仁だ。この五つのものが備わらないで、大盗になれた者はまだ一人もいない」と。
これを見てもわかるように、善人も聖人の道を心得なければ偉くなれないが、泥棒もまた聖人の道を心得なければ泥棒になれないのである〉邱永漢『東洋の思想家』より
〈聖人と泥棒は唇と歯であり唇がつきれば歯が寒いように、聖人が生まれてはじめて大盗が起こるのである。このゆえに、大盗をなくそうと思えば、まず聖人を滅ぼさなければならない。
なんとなれば聖人が桝を作って量れば、泥棒も桝を利用して盗み、聖人が秤を作って量れば泥棒も秤を利用して盗み、また聖人が印章を作って約束を守らせれば、泥棒もまた印章を利用して盗むからである。同じように仁義を作りだして泥棒を防止しようとすれば、泥棒は仁義を楯にして盗むものだからである〉(同上)

同じく『荘子』では、世俗的な聖人の代表としての孔子を、悪党の代表としての盗跖と会見させる象徴的な場面が用意されています。
〈孔子と柳下季は友人であった。柳下季の弟は盗跖といって、名うての大泥棒である。手下が九千人いて天下に横行し、諸侯を相手に泥棒を働き、人家に押し入ったり、他人の牛馬をかすめたり、婦女子を誘拐したりして、親を忘れ、兄弟を顧みず、また祖先を祭ろうとしなかった。盗跖が押し寄せると、大国も小国も防備を固くし、良民は大いに苦しめられた。そこで孔子は柳下季に向かって言った。
「親が子を諭し、兄が弟を教えるのが肉親のよしみです。あなたは世に知られた才子なのに弟さんは大泥棒で、世間の人を苦しめています。あなたのためにも実に残念なことだと思いますから、私が行って忠告してみましょう」
「あなたのおっしゃるのはごもっともですが」と柳下季は答えた。「諭しても子が親の言うことを聞かず、教えても弟が兄の言うことを聞かなければ、たとえあなたの雄弁をもってしてもどうすることもできないでしょう。跖の人となりは私もよく知っていますが、頭はよいし、性格は強烈だし、力はあるし、口八丁手八丁です。その意志に従うと喜びますが、さからうと怒るし、怒るとどんなことでも言いかねません。まあ、行かないほうが無事ですね」
相手のとめるのもきかないで、孔子は顔回に馬車を御させ、子貢を傍にすわらせると盗跖に会いに出かけた〉(同上)

孔子は盗跖に会見で、次のように切り出す。
〈「私が聞くところによりますと、世の中には三つの徳があるそうです」と孔子は内心の驚きをかくしながら言った。
「生まれながらに比べる者のない美丈夫で誰からも喜ばれるのを上徳と申します。その次が知識天地をつなぎ、才能万物を弁ずる者で、これが中徳です。下徳とは勇猛果敢で衆を集め兵を率いる者です。この三つのうち、一つでもあれば王侯となることができるといわれています。いま将軍はこの三者を同時に兼ね備えているのに、世間では盗跖と呼んでいます。私はそれが残念でたまりません。もし将軍が私の言うことを聞いてくださるなら、私は四方諸国の王侯に説いて将軍のために土地と城と人民を割かせ、将軍が諸侯になれるようにいたしましょう。その結果、将軍が兵隊たちに休息を与え、身内の者を収養して、家族そろって祖先のお祭りができるようになれば、これこそ聖人才士の行ないでございます」〉(同上)
その孔子の言葉に対して、盗跖は次のように応じる。
〈利をもって誘惑をしながら、もっともらしい理屈を言うのはみな俗物のやることだ。おれが生まれながらの美丈夫だとしたら、それはオヤジやオフクロのせいで、なにもおまえに賞められなくとも、こちらでちゃんと心得ている。だいたい、面と向かって人を賞めるようなやつは、陰にまわれば悪口を言うやつだ。〉(同上)

『荘子』によれば、とうとう孔子も呆れて、ほうほうの体で逃げ帰るストーリーとなっていますが、リアルな遣り取りの続きは原典にあったって頂いた方がよいでしょう。
君子に用意された上智上達の道があればこそ、下愚下賤の悪党の道がそれに併走し、寄り添うように「盗用」を繰り返して生き延びてきました。いわばこの二つの関係は「唇と歯」の関係だというのです。
中国では、君子や聖人の思想も連綿脈々と生きてきたのですが、間違いなく小人の「下達」の道も同時に長い歴史のなかで生きずいて今日に至っています。
はたして、こんなことが日本人に理解できるでしょうか。私は疑問に思っています。
                       39「上達の道あらば、また下達の道あり」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/04/02