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中国名言と株式紀行(小林 章)

第74回 四000年を学ぶ中国名言/「オリジナルとコピー、文芸と文芸評論」

『凡そ人の材性は一ならず。その長ずる所を用うれば、事挙がらざることなし(凡人材性不一。用其所長、事無不挙)』
                              出典【『宋名臣言行録』欧陽脩】
[要旨]人を用いる場合、その人の得意とするところを活かすべきだ、ということ。
北宋の国都・開封の知事を務めた欧陽脩の言葉だが、前任知事の包拯は厳格な人物で、中国史上で最も有名な「清官(清廉な役人)」と言われ、部下の管理にも大変厳しかった。しかし、後任の欧陽脩は政務事務の簡便を旨とし、部下にも無理を強いるようなことはなかった。そんな欧陽脩の人材活用法に手緩いとクレームを付ける先輩官吏が現れた。その時、彼が反論して述べた言葉の一節が上記です。
後代、欧陽脩は北宋随一の名文家で古文復興を進め、唐宋八家の一人と認められていますが、宋代の八家中5名は彼の弟子であり、彼は別格の立場でした。また「新唐書」「新五代史」の撰者としても有名です。貧しい家庭の生まれで4歳のときに父と死別する。24歳で科挙に合格し、包拯の後任で、開封府尹(知事)となります。その後、范仲淹を庇い左遷されるなど憂き目に会うが、数年を経て、再び中央に返り咲き、翰林学士等の要職を歴任し科挙試験を監督し、蘇軾の才能を見いだす。その後、枢密副使・参知政事(副宰相)に就き、蘇洵や王安石など有能な人材を登用した。
従って、欧陽脩という人は、人材発掘・登用の才にも秀でていたことになる。その言葉には、当然説得力があったことになります。
『宋名臣言行録』は南宋の朱熹の作で、宋代の名臣とうたわれた人々の言行や逸話などを列伝風に記した書です。

上記の欧陽脩の言葉には続きがあります。「人の短所(不得意)を無理に使わせれば必ず失敗するだろう。私は私の長所(得意)に従っているだけだよ」と。すなわち、その人の得意なところを活かし、不得意なところを無理にやらせても効率が悪いばかり、私のやり方(すなわち人材活用法)の長所はこういうところだ、というような意味です。
最近のニュースで「褒めて伸ばす」の効用が科学的に証明されたといいます。
他人から褒められると運動技能の成績がよくなるという実験結果を、名古屋工業大学などの研究グループがまとめたものだそうです。「褒める」ことは、脳にとっては金銭的報酬に匹敵するほどの、社会的報酬にあたるという見解です。
「褒める」という行為は、人の長所や得手に対して為される行為です。短所を褒めるには無理があり、嫌みや悪意があるとしか思えません。やはり、欧陽脩の言うように、人の才能はそれぞれ異なるのですから、その人の長所や得手を活かしてあげられる仕事を与え、ときに成果の上がった時やもう一歩という時には、励ましの意味も込めて大いに褒めてあげることが、人材活用の要諦だと言えるのではないでしょうか。

また、欧陽脩の残した有名な言葉に「三上」と「三多」というものがあります。
まず「三上 」とは、アイデアや良い考えを得る場面のことで「馬上、枕上、厠上」だと言われています。すなわち「乗り物に乗っている時」と「布団で寝ている時」と「便所に入っている時」のことです。
また「三多」とは、文章上達の秘訣のことで「看多、做多、商量多」のこと。それぞれ「多くの本を読むこと」と「多く文を書くこと」と「多く考え抜き推敲すること」のことです。
「三上」と「三多」は、現在でもとっても有効ですね。

欧陽脩は、詩(漢詩)と詞をともに書き、気取らず、伸びのびして、ユーモラスな作風であったとされています。どちらかと言えば、詩人としてよりも散文家として大きな足跡を残しています。
ちなみに、詞(し)とは、中国における韻文形式のひとつで、宋代に隆盛したので宋詞(そうし)ともいわれています。また、元々は歌謡文芸でもあったと言われていますが、唐・五代では「曲・雑曲・曲子詞」とも呼ばれ、曲に合わせて詞が書かれたので、詞を埋めるという意味で「填詞」音楽に合わせるという意味で「倚声(いせい)」とも言われます。曲に詩がのった、現在の歌謡曲のようなものを想起すれば分かりやすいでしょうか。しかし、この後には、音楽に合わせる形式は廃れていきます。
この「詞」とは、詩に対して「詩余(しよ)」とも言われ、長短不揃いの句で構成されることから「長短句」ともいい、詩の評論形式の一つである「詩話」のようなものです。これは、欧陽脩の創始した形式ですが、漢詩に対する「詩の評論」のようなものです。今で言えば、詩や小説とそれに対する評論を併記したような形式です。こうした文芸の流れが、いずれは詩や小説などと評論の分業を生むことになります。
中国文芸の流れは、ある意味、漢詩や「四書五経」などといったオリジナルがあって、その模倣書や偽書(コピー)が出て、更にその解説や評論へと進んでいく流れです。

現在でも、中国での教育現場の学習の中心は、科挙制度の時代の伝統で「四書五経」の丸暗記が必須であったように、教科書の暗記内容を試すような試験が中心です。従って、学校では教科書の暗記が授業の主題となっています。中国の優秀な学生の勉強法は、科挙の時代の伝統を受け継いでいるとも言えなくもない、ということを言っておきます。
記憶偏重の学習の弊害は、多く識者の指摘するところですが、国の勢いは教育の分野でも顕著であり、ここから、学習の応用が図られ、何れどんなオリジナリティが飛び出してくるのか、興味があります。
                        37「オリジナルとコピー、文芸と文芸評論」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/03/25