戸田ゼミ通信アーカイブ トップページ >> 中国名言と株式紀行(小林 章)
中国名言と株式紀行(小林 章)
第72回 四000年を学ぶ中国名言/「中華思想と少数民族」
『親を養わんと欲すれば、親在さず(欲以養親、親不在矣)』
出典【『小学』外篇・嘉言章】
[要旨]親の生きているうちに孝行をやっておきなさい、という教え。日本にも、江戸時代の川柳集『「誹風柳多留』に「親孝行したい時分に親はなし」という同意の川柳がある。
南宋の儒学者であり朱子学の創始者・朱熹の撰した『小学』(全6巻。初学者のための修身作法の教科書。日常の礼儀作法や格言・善行などを古今の書から集められている)のなかに出てくる北宋時代の文人政治家・范仲淹が、子ども達を諭していった言葉が上記である。
范仲淹は、幼少時父を亡くし経済的に貧窮していたが、粗食苦学によく耐えて27才で科挙に合格し、進士となり、駐広徳軍司理参軍に任命されます。下級官吏や辺境守備の勤務時代が長かったのですが、後年には参知政事(副宰相)にまで出世しました。
天子に仕え、つねに天下のことを論じて、人を遇するにも自ら信じるところを貫き、何度も宰相と対立し左遷の憂き目にもあったが、信念を貫き利害に左右されることが無かったため、清末までの中国士人の理想像とされました。
新しい科挙官僚すなわち士大夫階級の興隆の流れにのり、欧陽脩らと共にその指導理念の形成に尽力する。儒学を人格形成の実学たらしめんとする数々の主張は,宋学の先駆的士風の形成者の一人とされ、六経・易に通じ、常に感激して天下を論じ一身を顧みなかったという。散文に優れ『岳陽楼記』中の「天下を以て己が任となし、天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみにおくれて楽しむ(先憂後楽、後楽園の由来)」は、つとに名高い。
范仲淹の残した「先憂後楽」という言葉は「民に先だって憂え、民が幸せになったのちに楽しむ」という政治の任にあたる人の心がけを説いたものだそうです。各地にある「後楽園」の由来ともなっているようですが、それは在任中の為政者の民をおもんぱかった善政に全力投球を行った後の、引退後の密かな楽しみや嗜み、余趣としての造園事業であったという意味なのでしょう。まあ、それくらいのかつての為政者の意気込みが日本三大名園辺りに活かされて、今でも優れた文化風景遺産として残されていると考えられます。
俗に「まず、苦労しなさい。そうすれば、その苦労や努力は報われ、やがて、楽しい人生がやってくる」と広義に解釈されることもあるようですが、それでは「先苦後楽」です。あまり意味を一般的に広く解釈しすぎないことが肝要でしょう。
一方、親孝行という話ですが、現在の中国でも比較的連綿と命脈を保っているのは、家族内での両親への子等の配慮です。私も行きがかり上、多くの中国の知人の親の葬儀に立ち会ってきましたが、儀式は経済の成長と共に年々華やかになってきています。隣人同士で競い合いますし、止む終えない面もありますが、行き過ぎかと疑念を持たせます。
そうしたなかでも、つましい家庭での葬儀風景ほど、好感が持てます。兄弟同士で親の死に目までの涙ぐましい程の甲斐甲斐しい最後の孝行の様子を儀場で話に聞けば聞くほど、中国人の親に対する機微の孝情を思わせます。長男が弱った親の面倒を見るために、仕事を辞める。他の兄弟姉妹は、長男の孝行の助けにと生活費を出し合い、生活を助ける。毎日交代で、親の様子を交代で伺いに行く。それを2、3年にも渡って続けてきたという。こうした話をよく耳にします。昔は、隣家同士でこうした孝行振りを競ったものですが、現在では、儀式の華やかさや掛ける費用の多寡を競うようになってきています。さらに墓所。金満家のための埋葬特別区画もあり、墓石や刻印内容にまで掛けようと思えば、今では幾らでも豪華に仕立てることができるようになりました。
現在、北京や天津など北方都市周辺には「回族」というイスラム(回教)系の少数民族が多く住んでいます。このムスリム(イスラム教徒)民族は中国内に約980万人の人口があります。回族以外の中国の回教徒は、さらに約900万人程度いると言われています。回族のコミュニティ(郷村)には普通、モスク(中国語では「清真寺」と表記)があります。ムスリム村を形成して、群居する場合もありますが、多くの人々は漢族と並居しながら都市生活をしています。漢族との婚姻等で同化も進んでおり、イスラムにのっとった生活を行い、漢族とは食習慣や冠婚葬祭などの習俗を大きく異にしていますが、回族の血は引いていてもイスラム教の信仰を失っている者が回族を名乗る例も珍しくなくなっています。しかし、この習慣の違いが回族の民族としてのアイデンティティの拠り所となってはいるようです。姓名は漢族と比べて特別な異姓はないが、預言者ムハンマドの名から取った「馬」の姓が比較的多いようです。
漢族と回族との婚姻では、食習慣や冠婚葬祭は回族側の習俗に合わせるのが普通となっています。どちらかというと北方の回族は「色目人」の末裔で食習慣や冠婚葬祭等の習俗を除いて、漢語を母語とするなど文化習慣の同化がかなり進んでおり、南方の雲南や海南省の回族はまだまだ独自の母語を守って宗教的戒律に忠実な面もあるようです。近年は、少数民族としての様々な優遇措置があるために、漢族との同化のために信仰を失った回族が増えているとの指摘もあります。ただし、食習慣や冠婚葬祭の伝統だけは守られているようです。
「清真」と店の看板に大書された料理店は、イスラム料理のお店です。回族は豚を不浄な生き物として食しませんので「小肥羊」などの羊肉の火鍋や羊肉の串焼き、羊骨湯や羊骨醤煮込みなどの羊肉を使用した料理は回族の伝統料理ですが、漢族の食卓にも普通に出てくる料理メニューとなっています。こうした火鍋のお店では、よく大家族で卓を囲んで老父母の誕生祝いや母や父の日の祝宴が催されています。回民は、餃子や雲呑にも羊肉や牛肉を使います。飲酒を嗜む人もいるようです。
また、回族は火葬ではなく土葬の伝統を守っています。亡くなった親の清められた遺体を白い布に丁寧に包んで桶のなかに安置し埋葬します。こうした民族の旧習は、文化大革命の時でも廃止されることはなかったようです。
現在の中国は漢民族の国家と見なされますが、実は人口13億人の約92%を占める漢族のほか、チワン族、ウイグル族、モンゴル族、チベット族、回族、ミャオ族、イ(彝)族、トゥチャ族、満族など、政府が認定している55の少数民族よりなる多民族国家でもあります。一説には未分類の少数民族も多数あるようです。これらの少数民族には、各自の言語、文化を維持する権利が保証されていますが、高等教育においては北京語が授業標準語となっています。しかし、少数民族には優先的な上級学校進学、公務員採用、一人っ子政策の制限を受けないなどの優遇枠を与える政策も採られています。チベットや内モンゴル、ウイグルでの民族に対する武力による圧政や漢族による同化政策が国際的な非難の的となっていますが、概ね他の少数民族とは支配被支配的緊張関係はなく、うまく共生ができているようです。政府も少数民族の文化的な遺産の保存に否定的ではありません。私の友人にも多数の回族の人や満族、土家族の友人、猫族やチワン族の知人がいますが、彼らと漢族との関係はまったく良好です。普通に接していると、言われないと漢族との違いが分からないほどです。
それは、どうやら「中華思想」との関わりがあるからのようです。
漢族との同化が進んでいるとされる回族ですが、かつては北方の交易などの目的で入ってきた回教徒と雲南、海南省などのイスラム教の布教活動の教化の影響で漢族から回教徒に改宗していった人達とは、清の末期には回民蜂起を各地で頻発させ、独立運動も盛んであったようです。しかし、現在では独立的意図を持った活動は、人民中国の少数民族認定政策により影を潜めました。
中国では、中原の覇者たらんと目論んで辺境からやってきた民族国家の人々が自ら漢民族との文化的同化を選んだ思想が「中華思想」そのものであったようです。それは嘗ての中国の元や清朝などの異民族政権を想起すれば理解できます。従って、漢族の培ってきた伝統文化に対して、来る者(同化を受け入れる者)は拒まず、去る者(独立を目指す者)には容赦ない、という事かも知れません。
現在の、本土の台湾に対する態度にも現れています。
漢民族の風習や文化を強要する覇権国家の接収強制の結果が中華思想の拡大と思われては些(いささ)か歴史を無視しすぎと言えるでしょう。
36「中華思想と少数民族」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2013/03/21