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中国名言と株式紀行(小林 章)

第64回 四000年を学ぶ中国名言/「屋根は内に架けるか外から架けるか」

『屋下に屋を架す(屋下架屋)』
                                  出典【『世説新語』文学】
[要旨]無駄なこと、余計なことをする喩え。また、新味も独創性もない人まねの喩え。
直訳すれば、屋根の下にさらに屋根を架ける、となる。出典のもととなった話は次のようなもの。江南の東晋に庾仲初という者が、都・建康(今の南京)を褒め称える「揚都の賦」という詩的散文を作ったが、親戚の庾亮がこれを読んで絶賛した。漢の班固の「両都の賦」、張衡の「二京の賦」と合わせて三京、また西晋の左思のベストセラー「三都の賦」と合わせると四都と称するに足る、それ程すばらしいできばえだと喧伝した。ちなみに、両都・二京とは洛陽と長安のこと。三都とは蜀の成都、呉の建業、魏の鄴のこと。
宣伝のおかげで、この仲初の作品もベストセラーになったという。ベストセラーというのが、当時は都の人がこぞって筆写し、壁にかけて鑑賞したということ。
しかし、書家としても名高い高官の謝安がこれを読み、激辛批評をする。「なあんだ、三京とか四都とか言われているが、単に屋下に屋を架すようなものじゃないか。ことごとく先人の真似をしただけで、お粗末この上ない。」この酷評の噂が伝わって、仲初の作品は、可愛そうに誰からも顧みられなくなってしまったという。

「屋根の下にさらに屋根を架ける」とは、余計なことを重複する、無駄なことをする、物真似をするのたとえです。北斉の顔之推という学者の著作『顔子家訓』の序に「晋以来、訓詁の学という儒学の研究方法がもてはやされ、各学者は争って、昔の学者の著書を現代文に書き直すことをやっている。だが、これらの学者の書いているものは、みんな理論の立てかたが重複しており、同じことの繰りかえしに過ぎない。まるで屋根の下に、もう一つ屋根を作り、床の上にまた床を張ったようなものだ。全くムダな労作ばかりで、見るに値しない」といった記述が見えるそうです。
ところが、日本では「屋上屋を架す」「屋上屋を重ねる」ともいうそうですが、原典の用法の真逆となります。この発想の逆転に日中の物の考え方の違いが見て取れると私は個人的に考えています。

中国人は、私の見立てとしては、常に自分の身から出発して思考を空間的に拡げていく傾向があります。両親を初めとする親族にまでは愛着が深くあります。まず、第一の壁は自分です。そして、自分を超えて次の壁は親族と暮らす家庭であり家になります。壁と言っているのは、防波堤といってもよいかも知れません。自分がまず大事、面子がかかっているからです。面子というのも字の如く空間的な意識です。次が家庭内、家の中、血の繋がりが自分のシェルターとなり、戻ってくれば自分を温かく迎えてくれるからです。その壁の先は、愛着は薄れ、かなり危険な領域に入っていきます。自分の防衛しきれないかも知れない領域が家庭外や家の外です。魑魅魍魎の住み着く世界です。公共心に欠けるというのは、自分や家庭から遠い場所への対処の仕方や空間の組み立てを問題とされているからです。日本人に家の片づけが下手な人が多いのに対して、中国ではあまりそういう人は見かけることがありません。基本的に、自分や家が大好きだからです。

その家の屋根の下(=内)に屋根を架けることに、中国人の合理性を感じます。内側からは空間的に構築物を安全に造りやすいからです。それを日本人は、同じ言葉を輸入してきて、自分たちの道理に合わないからと「屋上屋を架す」と、逆にして納得してしまったのです。日本人の祖先は、流浪の果てに大陸の外れの、彼の地にたどり着きました。中心から外れて、流れて周縁の地にわざわざ住み着いた人々でした。わざわざ、自分の地や家から遠くを目指した人々です。そもそも家の外への恐れが薄いのです。むしろ抵抗を感じないのでしょう。そうしなければ食べ物にも不自由して生きていけませんでした。家の外に屋根を架けても平気でいられるわけです。
中国人は、やむをえず華僑として海外で暮らす時、集団で群生して助け合いの社会を作りたがります。もともと中心で暮らしてきた人が周縁に暮らす場合、危険も多く寄る辺がありませんから、お互いの保身のために群生する傾向があります。内部世界の図式の外部環境への適応という面があります。

堤防の解れを補強する時、内側から補強を試みるか、大胆に外から補強を施そうとするかで、物も捉え方や行動の結果は大きく異なってくることが予想されます。
清朝末期、欧米列強や軍国日本から領土の蚕食を受けた時、政権内部の抗争や領土の弥縫策にばかり捕らわれて、結局列強の強引な武力による進出を許してしまいます。その後の人民中国での自力更生と改革開放政策での外資導入は振り子の行き過ぎとその揺り戻しと見ることもできますが、内側から窓をピッタと閉めるか、恐る恐る窓をちょっと開けるかの違いのように感じられます。

産業のイノベージョンも、最初は模倣からスタートします。工業製品の模倣の仕方一つとっても、日本と中国では発想と発展の仕方に差異を生んでいます。
日本人が、職人的といわれるのは、真似た物でもなるべく立派に磨き上げたりして工夫よく見せようとします。技法を自分のものとした後には、その道を深く掘り下げ、こだわりとプライドを形成するからです。外めの見栄っ張りでもあります。
中国人は、家の中や自分の空間意識がキチンとしていて、我流の解釈をまず付けて、人の意見は先になるべく聞かず、私的に内側から見て合理的かどうか判断します。自分に納得が着けば、模倣にも自己流の進化が始まります。

                       32「屋根は内に架けるか外から架けるか」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/03/05