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中国名言と株式紀行(小林 章)
第52回 四000年を学ぶ中国名言/「名言と迷言」
『怨みに報ゆるに徳を以てす(報怨以徳)』
出典【『老子』六十三章】
[要旨]怨みのある者に対しては、たおやかな広い心をもって報いること。
そういう風に解釈されていますが、今ひとつ理解ができかねる難しい諺です。この言葉を、戦後の敗戦国・日本に対して蒋介石も語ったとされています。
孔子は「怨みには直で報い、徳には徳で報いるべきだ」と『論語』のなかで述べています。すると、孔子には徳自体が重要であり、怨みなどというものには素直な心で為すがままに対処すればよい程度のことでした。逆に老子は「上徳は徳とせず、ここを以て徳あり。下徳は徳を失わず、ここを以て徳無し。上徳は為す無くして、以て為す無く、下徳はこれを為して、以て為す有り」(三十八章)と述べているとおり、本物の徳は本来そのものに備わったものであり自然に発現するものであり、一方低俗な徳というものは無理にこじつけなければ保ち得ないものだと言っているので、暗に孔子ら儒者の大事にする徳などは所詮「下徳」であると言っているようなものです。いずれにしても怨みよりも、徳に重点があるようです。
蒋介石が敗戦国・日本に向けて「以徳報怨」(徳を以って怨みを報ず)といった意味は、為政者側の測りがたい意味を蔵しているように思われます。すなわち、蒋介石はわざわざ「徳」を先に述べてから、怨みに報いると『老子』からの出典を逆にひっくり返して述べているからです。そこには、当然意図が隠されているはずです。偶然逆読みしてしまったとか、逆に覚えていたとかいうことではなかったと思われます。こだわり過ぎかも知れませんが「徳」のことを先に述べなければならない正当な理由が考えられるはずです。
蒋介石は、この言葉により日本兵の中国大陸からの復員に最大限の便宜を図りますが、ここには日本との諍いをなるべく早く避け(収束し)て、共産党軍との内戦に勢力を注ぎたいという意図があったように思われます。ただし、この私の判断は、極私的な判断であることをお断りしておかなければなりませんが、後の歴史の事実に照らせば、こうした判断の余地があります。また、蒋介石は米国大統領ルーズベルトに、日本の戦後処理問題に対して何度も意見を求められていますが、連合軍の日本分割統治や天皇制廃止には消極的意見を述べています。特に天皇制については「日本の起こした戦争の主犯者は日本軍閥であるから、日本の国体問題に対しては戦後の日本国民自身が解決すべきであると考える」と述べています。蒋介石は以前の日本にも度々訪れ、日本の風俗風習を幾つか良い行いとして自ら実践することすらあったと言われています。こうした点でも、戦争を主導した軍閥と日本国民とを別の観点で見る眼を持っていたのかも知れません。
戦後の日本では、蒋介石の「以徳報怨」や天皇制擁護を高く評価する右翼側からの意見が優勢であり、敗戦後日本に好意的と受け取られ、ほぼその良い評価が定着しつつあるようです。しかし、私は、別の影響を考慮に入れるべきではないかと思っています。すなわち、共産中国は国境内戦に勝利し、人民中国の樹立を宣言し、一方蒋介石を台湾に放逐しましたが、蒋介石の敗戦国日本に対する発言はそのまま人民中国政府の外交方針として引き継がれることとなります。
そのことが日本国民に広く知らされたのが、日中国交回復交渉の過程でのことでした。人民中国の首相・周恩来は、戦争責任問題について日本の軍閥(=戦犯)と国民(=犠牲者)を分けて処理することとしました。また、戦後補償については戦後賠償を求めないことにして「以徳報怨」を貫きました。
一国の外交政策について時の権力者の開いた道は、政権交代が為されても保持されたわけです。これが国家級の見識であり、大徳といわずして何というのでしょうか。
しかし、まあ歴史上の物事はそう単純でもないことも事実でしょうから、私の話も眉唾程度で丁度よいことです。それにしても、この名言はまことに迷言と言うべきであります。
26「名言と迷言」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2013/02/09