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中国名言と株式紀行(小林 章)
第50回 四000年を学ぶ中国名言/「赤鬼か、青鬼か」
『怨み骨髄に入る(怨入骨髄)』
出典【『史記』秦本紀】
[要旨]激しく怨む様子のこと。同様の骨にまつわる表現に「骨肉を別疏す(肉親同士をいがみ合わせる)」があり、骨肉の争いの出所はここからきたものです。
戦国時代、秦の穆公は重臣の蹇叔と百里傒の反対意見を聞き入れず、遠方の鄭へ討伐軍を派遣することを決め、その将軍に2人の重臣の息子3名を任命します。秦軍がその遠征に向かう途上で、不意討ち作戦であったにも関わらず、鄭側は秦軍の進攻を察知してすでに堅固な防衛体制を固めているという情報を得ます。そこで秦軍は方針を急遽転換し、晋の属国・滑を攻め滅ぼしてしまいます。振り上げた拳を、そのまま収めることの難しさからでしょう。
これを聞いた晋の襄公は、父・文公の葬儀中であるにもかかわらず、着ていた白い喪服を黒く染め、晋全軍を結集して、遠征中の秦軍を殲滅し、その3人の将軍を生け捕りにします。
ところで、晋の文公夫人、つまり息子・襄公の母は秦の穆公の娘(公女)であり、亡くなった文公がかつて秦に亡命していた時に穆公が与えた妻でした。
晋の襄公の母は、襄公の軍によって捕らえられた故国・秦の3武将を助けたいが、さりとて簡単に釈放してくれとは息子・襄公には言いづらい。そこで次のように願い出ます。
「穆公の、この三人の暴挙を怨むや骨髄に入れり。願わくばこの三名を生きたまま秦に送還し、父・穆公の手で釜ゆでにさせてやって下さい。父はどんなにか喜ぶでしょうに」而して3名の武将は無事、秦に生還する。穆公はかつての娘の機転に救われ、自らの無謀な作戦変更を3名の武将に素直に侘び、以後厚遇します。なお、この句は通常「恨(怨)み骨髄に徹する(怨徹骨髄)」といわれますが「恨み骨髄に達する」というのは用法の誤り。
作者の司馬遷は、ここでもすさまじいほどの怨みや怒りの感情を「入骨髄」という簡潔な言葉(比喩)で深い感情のさまをリアルに表現しています。司馬遷は歴史の舞台となったゆかりの地(名所旧跡)を見て歩くのが趣味と実益を兼ねた、今でいう歴男、歴女のハシリのような人でした。その経験が後に役立ちますが、あまりに夢中になりすぎて、その旅先で父親の危篤を知らされます。その父の遺言により孔子の偉大な事績に倣い「第二の孔子」を目指し、史書の編纂を託されます。司馬遷は、その後思わぬえん罪の濡れ衣を着せられ、辱めの刑に服しますが、死の淵での父の遺言は彼の心を唯一大きく奮い立たせることとなります。恐らく彼の特筆されるべき特技の一つは、歴史上の舞台の一場面に自分を投影して深く感情移入できたことではないかと思われるのです。
どちらかといえば中国女性には、赤鬼タイプが多く、小さいことでも怒ればカッと激昂し、悲しい時はワッと号泣し、そのひとの感情の表出を隠しません。私が仕事で、中国に日参を始めた当時は、街角の路傍や家門を出たあたりで、観衆を従えて中年の奥さんが旦那らしき男を激しく罵(ののし)り、拳手を上げる姿があちらこちらでよく見られました。かりに日本人の夫婦喧嘩であれば、当事者同士、少し考えてしまう場面です。
邱永漢氏の著書の中にも「女はみな鬼である」という独特のレトリックが展開されている部分があります。赤鬼は先のような奥さんです。怒りが収まれば意外とケロリとしていて根に持ちません。満足するほど食べさせれば、忘れるタイプです。ところが、青鬼はどうもいけません。表情には滅多なことでは出しませんが、怨みが積み重なり、細々したことにこだわり、小言が多く根に持ちます。邱永漢氏は問います。「奥さんにするなら、赤鬼か、青鬼か」と。
しかし、街角で観衆を集めて、号泣し、喚き散らす赤鬼を見ていると、あまり抵抗もせず泣き出しそうに口だけで反撃を試みる旦那さんは、まるでやられっぱなしの青鬼のようです。赤鬼は観衆に喧嘩の勝敗について判定を求めているようです。自分の怒りの理由、すなわち旦那の側の不徳、不条理、不誠実を皆に認めて欲しいのです。所詮赤鬼だって、自分が可愛いわけで、加勢を得て勇気百倍強くありたいのです。青鬼だってやられっぱなしで悔しいが、自分が可愛いので、周りから同情ぐらいはして貰いたいわけです。
また、仕事上のトラブルで青鬼が落ち込むとしますと、赤鬼も黙ってはいません。親身になって解決に努めますし、一緒に和合して声を荒げて呉れますし、青鬼を一喝しさえして、これ督励に励みます。怒った姿ばかりを目に焼き付けられていると不思議な光景、やがて赤鬼、青鬼の共にニコニコしている姿が眩しくも感じられます。
赤鬼は怒り骨髄に入り、青鬼は怨み骨髄にジワジワ染み入るというべきでしょうか。
25「赤鬼か、青鬼か」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2013/02/05