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中国名言と株式紀行(小林 章)

第42回 四000年を学ぶ中国名言/「経済的貧困と心の貧困」

『飢えたる者は、食を甘しとし、渇したる者は、飲を甘しとす(飢者甘食、渇者甘飲)』
                                 出典【『孟子』尽心章句・上】
[要旨]人間の本性は善だが、あまりに貧しいとそれが損なわれる。
貧乏して、日々の食事にも事欠き、空腹や渇きが度を越すと味覚が狂い、どんな物を食べても、どんな物を飲んでも甘味しか感じなくなる。いわゆる「空きっ腹に不味い物なし」の状態だが、それと同様に、人が本来持って生まれた善の心も、貧しさが極まると、時として失われることがある、という意味。

この言葉は、相対的多数の人々の傾向について述べられており、誰しもが赤貧の前では善の心を失ってしまうわけではない。
孟子は、水が高いところから低い方へ流れていくように、人の性も心のままに自然に善へと向かっていくのが道理だと「性善説」を説いた人です。例として「よちよち歩きの子が井戸に落ちそうになっているのを見たら、誰でも思わず助けようとするではないか」と具体例を挙げています。

先頃、中国のネット上で車に接触して倒れ込んだ幼児を、誰も救出しようとせず、何人もの人が見て見ぬふりをして側を通り過ぎていった動画がテレビで放映されて、中国を始め世界で非難が燃え上がりました。この孟子の生まれた国では、孟子の性善説の元となっている具体例に極めて近いケースで、孟子説が否定されているのです。これこそが「人間の本姓は善だが、あまりに貧しいと損なわれる」と言われた「善」の実態ではないのか。
そうすると、この事件は中国の国内でも極めて貧困に陥っている最下層地域で発生したものであるのか。この問題の「2才女児ひき逃げ見殺し冷血事件」は、昨年9月に広東省仏山市内の路上で発生し、タクシーに一度ならず再度轢き直された上、18人の通行人が黙視し通り過ぎ、中型トラックにも轢かれてしまっていた。たまたま路上に設置された防犯カメラで一部始終が記録されていたのです。誰もが冷静でいられない事態に身の毛もよだつが、一方この地域は決して、貧しいばかりの最貧困地域ではなく、工業化の進んだ沿海部経済発展地域でした。

すると、この事件の場合の「貧しさのあまり」とは、経済的貧困のことをいうのではなく、ひとの心のうちの荒涼たる貧困のことを言っているのであることが分かります。近年中国では路上で、わざと転倒してみせ、通行人が救出に当たろうとすると、奇声など大声を上げるなどして騒ぎ立て、その人を取り囲んだ別の通行人達を前に、救出に当たろうとした親切な人を暴力犯や泥棒と言って吊し上げて、その人からお金を巻き上げるという偽装詐取事件が頻発しているとのこと。人の善意を逆手に取った、何ともやりきれない世知辛い世の中ではあります。

孟子の性善説には、ほぼ同時代の対抗馬が存在します。性悪説を唱えた同門の荀子です。荀子は人間はもともと悪なのだから、善であるようにするには人為(後天的に礼を学ぶ)が必要だと説く。人為的前提をもとに善は成立するものだから、当然種々の必要条件を整えてやらなければなりません。道徳的条件、学習的条件、経済的条件、科学的条件、法律的条件、税務的条件、政治的条件、社会的条件、労働的条件、福祉的条件などなど、数え上げればきりがありませんが、現在中国では国家が盛んに条件を積み上げて来たのも事実です。しかし、ある条件が整ったと思っても、別の条件に力が入っていませんでしたとなり、終わりのない条件闘争が繰り広げられるばかりです。

中国で「随意」とは、大変便利な言葉で、たとえば食事の席に招待されて、来賓としてメニューを尋ねられた場合に「随意」と言えば、こちらの意を汲んで「では私共の方で選びますから」と言ってくれます。
意のままに、内からの声や動力にしたがって前進すれば、善行は発露するものだ、と考えるのはいかにも都合の良いことのように思われますが、素直な気持ちで心の声や発芽の音に耳を澄ませれば、いろんな条件をあげつらうよりは多少マシな時があるのではないでしょうか。

孟子は別のところで、貧乏であっても善の心を持ち続ける人は必ずおり「そういう人は、金持ちに何ら引け目を感じないし、それだけで十分尊敬に値する人だ」と述べています。
経済的貧困だけでなく、心の貧困にも屈しない不屈の善の持ち主のみが、尊敬に値すると読み替えて理解するべきでしょう。どんな境遇や条件であれ、自足(知足といってもよい)している人は、好戦的ではなく、他者へ危害を加えるようなことはありませんから。
                               21「経済的貧困と心の貧困」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/01/20