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中国名言と株式紀行(小林 章)

第27回 四000年を学ぶ中国名言/「儀礼的な辞退には要注意」

『一敗、地に塗れる(一敗塗地)』
                                  出典【『史記』高祖本紀】
[要旨]完膚なきまでの敗北を喫すること。
秦の始皇帝の死後も、法治(厳罰主義)と年貢の取り立ては苛酷を極め、このため各地で農民らの反乱が頻発し、楚の沛県でも県知事が民衆に殺害されてしまう。その後任に推されたのが、後の漢帝国を打ち立てる劉邦でした。しかし、彼は最初これを「私のような無能な者が指導者になれば、必ず戦いでは再起不能なまでに大敗するのは目に見えている」と断ったのです。『史記』の司馬遷の記述は、敗北の様子を短い言葉で見事なほどにリアルに伝えています。

中国では、要職に推されても一度断るのは儀礼のようなものですが、上記の劉邦も再三の要請により、断り切れずに、ようやく沛県知事(沛公)を引き受けます。
遡(さかのぼ)れば、釣りの始祖とされる太公望は、渭水で釣りをしていたところを周の文王に礼節をもって二度の訪問の後迎えられ、その軍師となり、文王の子武王を補佐し宿敵殷国を滅ぼした伝えられています。
また、有名な「三顧の礼」でも、三国志の英雄・劉備が、その英明を知り、当時無官であった諸葛亮孔明の草庵を自ら三度に渡って訪問し、軍師に迎え入れた故事が思い出されます。

中国では古来、賢者は天下が乱れると深山幽谷に身を隠すと決まっていました。孔子のように、自分から才能を売り込みに行く者は殆ど例外であったといえます。
こうした賢者と呼ばれる有能な人材を在野から広く求め、その人と良好な人間関係、それも主従の関係を築くことは容易なことではありません。そのため、求める側が先ず礼節を尽くし、双方とも慎重にお互いの技量や相性を確かめ、その人の見識の高さ、人格、眼力などを見極めながらリクルートが進行していくことになります。時の権力者、則近として相談を受け的確に進言を与える者、その側近の情報収集や諜報活動を配下で実行する者、そして賢者自身と四者の役者が揃う必要があります。

ひと言でいえば、良好な人間関係の構築の仕方ということになりますが、このことが中国では、現在まで連綿と重要視されてきました。何故なら、人間関係の善し悪しで、その人の人生は大きく変化することになりますし、仕事上の昇進や金銭や商売の面で大過なく過ごせるかどうかが懸かっているからです。
中国の占いで「貴人」とは、欧米で言うメンターの意味と近く、人生の良き助言者・指導者・伝道者・顧問のような立場の人のことを言います。人生のある時期に、貴人と出会うことで、その人の運命的な道が開けていくと考えられています。貴人はその人の決定的な出会いを仲介したり、人生の指針を指し示してくれます。

閑話休題。さて、先の名言に戻ると、劉邦が任官を断る時に用いた「一敗」で、再び立ち直れないほどの完膚なきまでの敗北を喫してしまうという言葉。再起不能とは、なかなか辛い状況です。『史記』劉敬列伝には「肝脳、地に塗(まみ)れる」という同様の表現がありますから、戦死者の内臓など(肝臓などのはらわたや脳みそ)が大地に散らばって、泥まみれになるような、絶望的で悲惨な戦場光景が思い描かれます。
「一敗」とは、最初からの、はなからの、一度の戦いで完膚無きまでの敗退を期してしまい、再起不能となる程の敗北のことであり、兵はみな地に打ち倒されたさまを言いますから、劉邦は自分が任官すれば、秦に再起不能なほどの敗北をもたらすと予言したことになります。事実、後に秦は滅びることになり、劉邦があらたに漢帝国を打ち立てました。
最初、儀礼的とはいっても、随分と大袈裟なことを言って任官を断るなァ、と思っていたら、とんだ食わせ者、腹蔵裏心あり、自ら予告を周囲に喧伝していたことになります。
                              14「儀礼的な辞退には要注意」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2012/12/23