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中国名言と株式紀行(小林 章)
第5回 四000年を学ぶ中国名言/「道とは、小さく産んで、大きく育てるの原則である」
『朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり(朝聞道、夕死可矣)』
出典【『論語』里仁篇】
[要旨]人の人たる道を体得することほど重要なことはない。「道」とは、道理、道義、人間としての正しいあり方のことであり、朝にそれを知り、会得することができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない--道を体得することは、大変難しく、また大切なことだと孔子はいう。
中国には、人の往来する「みち」といえば「路」と「道」とがあり、日本人には区別がつきづらいので「道路」という合成語までありますが、ちゃんと別扱いになっています。比較的広い幹線で南北を貫く縦糸が「路」、細めの東西に引かれた横糸が「道」となっていることが多いようです。中国の街路に立つと、必ず○○路や△△道の標識に出くわします。中国語辞書で両者の違いについて見比べてみても判然としないようです。
どちらかと言えば、私の勝手な解釈ですが、新しく整備された広い道路が「路」に当たり、古くからある細い道が「道」のように思われます。
文学者魯迅の小説にもあるとおり、道というものは元々あるのではなく、人が必要とするからできるものです。人の必要とする道は、また究められるべき道でもある、といえます。何故なら道は、道理でもあり、道義であり、人としての正しいあり方でもあるからです。
また、朝と夕べの関係ですが「一朝一夕」(短時間を意味する)とも謂われるように、時間の長さ感覚でいえば「朝=夕」と思われがちですが、中国では「朝」=僅かの間、一時のことをいい、その関係はどちらかというと「小→大」や「内→外」の関係と類似しています。「朝三暮四」でも「三→四」という順番になっています。
中国では、どちらかというと、先に出てくる言葉(語句)の方が質量的に「小」であったり「内」であったりします。
したがって、2者の関係は、実は「朝<夕」といった関係です。こうした基本的な理解ができれば、この諺は「早いうちに道を体得すれば、後は楽勝黄土、いつ死んでも悔いはない」というような解釈も可能なのです。原義から刹那的な雰囲気を感じるのは間違いです。
思えば、中国人の性癖として「小さく産んで、大きく育てる」ことを原則として良く守ります。たとえば、時の政権でも新たな政策や抜本的改革も、小さく始めて(実験して)、大胆にやってみて、修正が必要であれば改め、後々考えてみて失敗だと判断すれば、止めればよいと考えます。「改革・開放」政策の成功は、こうして成果を上げました。
それは、大きな国の政(まつりごと)には失敗が許されないので、原則として、こうした失敗の確率の少ない手法が取られるべきだと信じられているからです。
「朝令暮改」や「朝に過てば、夕べに改む」という有名な諺があります。こちらの解釈も「法令や命令がしきりに変わって一定しないこと」と否定的に取られがちですが、「やろうと決めたことを、まず小さくやってみて、間違ったら、後で大事になる前に改める」という風に丁寧に解釈してみれば、肯定的にも解釈でき、納得しやすいでしょう。
ところが、日本では、大局に立って物事を進めようとはしますが、方針合意に力点が置かれ、時間ばかりが浪費され、最初から与党野党の大風呂敷の拡げ合いの様相になってしまい、小も大もなくなってしまいがちです。
まるで「道」が分かっていないか、のようです。迷路にでも迷い込んでしまったのでしょうか。
3「道とは、小さく産んで、大きく育てるの原則である」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2012/11/09