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中国名言と株式紀行(小林 章)
第1回 四000年を学ぶ中国名言/「現在中国の賢者への遇し方とは」
『愛して敬せざるは、これを獣畜するなり(愛而不敬、獣畜之也)』
出典【『孟子』尽心章句・上】
[要旨]賢者には尊敬の念をもって接しなければならない。いかに金品をもって賢者を厚遇しても、相手に対して尊敬の念がなければ、ペットをかわいがっているのと同じだ、ということ。
近年、中国でもペット、すなわち犬や猫、さらに観賞用高級魚までも家で飼うことが急速に普及してきました。
古くはコオロギが皇帝のペットでしたし、メジロなどの小鳥を老人が籠に入れて愛でたり、鳴き声の良い鳥を競ったり、金魚を飼う習慣もありました。
しかし、人民中国成立以降は、ひとの食料確保が優先でしたから、生活の場から犬や猫は見当たらなくなりました。
私の20年前の最初の合弁工場の隣が、香港の合弁でペット犬の繁殖工場でしたが、程なく潰れ、しばらく廃墟のままでした。当初、業者は香港などの海外への生犬輸出を目論んでいたようでしたが、思うようには事が運ばなかったようです。今から思えば、事業化が早過ぎました。
その頃は、郊外でも犬や鳥といった動物の姿を、天津では見ることが少なかったのです。
ところが、この20年で様相は様変わりし、2、3軒に1軒は座敷犬や猫を飼っているお宅が増えています。特に老人家庭ではその傾向が顕著となっています。愛玩対象です。また、工場団地内の各工場でも守衛室周辺に番犬用でしょう、大型犬を何匹も飼うところが多くあります。需要は膨らみ続けています。
また、金品をもって厚遇する習慣は、中国ならではということではありませんが、厚遇する対象は、今や「賢者」にではなく、官僚や役人、はたまた医者や先生に代わりました。
役人に賄(まいない)を贈ることは、必ずしもマイナスな習慣ではなく、時に大変良い効果が期待されます。なんとなれば、ムズかしい顔も破顔一笑、ニッコリ笑みを得て、急速に親密度を増すことも難しくありません。
こうした習慣も、郷に入っては郷に従えで、見知らぬ相手との互いの壁を一気に乗り越えるための智慧や技法のひとつと理解されればよいことだと思います。
その中国では、ひとの度量を計ろうとする気風が旺盛で、基本的な付き合いにおいて、試されているのではないかとつい感情的になってしまうこともあり、人間関係には気を遣いますし、気の置けないような関係にはなかなかに時間が必要となります。
相手が役人ですから、別に賢者に接するが如く「尊敬の念」を抱きつつ、賄(まいない)を渡すようなことはあり得ません。それは、愛玩用のペットに対してもそれほど異なる感情というわけではないでしょう。どちらかというと、心のなかでは、こうした人間関係は何処かで割り切った関係だと理解されています。
しかし、こうしたきっかけで付き合いの始まった人でも、時に本物の良い関係に発展することもあります。忘れた頃に我が方の商売を気遣って「商売繁盛」の縁起物の絵1幅を託してくる課長さんがあったり、数年後に所長さんに昇進されて思わぬ鶴の一声で窮地を救って頂いたり、良縁であったことに後に気付かされることもあるのです。
そうした時に、あらためて「敬」の足らざることを悔いるようなことも起こる訳です。
また、賄(まいない)を渡す習慣について、声を大にして吠えたり、はたまた噛みついたりする人士も多いと聞きます。こういうひとに限って、潔癖とかの問題ではなく、賄(まいない)の甘味を占めたことがないのです。してみると、ひがみや妬みに駆られ、不幸にして賄(まいない)を受け取る立場にないひとは、ペットの類と同類と考えられても可笑しくないでしょう。
一際(ひときわ)声の大きい人に、ペット級の扱いで、ヨシヨシと甘言など労し、オスワリと手なづけて酒席など設けてご馳走してやる、というような行為は、そのひとの声の大きさを期待しての振る舞いだということが言えなくもない、ということになるのでしょう。
1「現在中国の賢者への遇し方とは」
注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。
2012/11/01