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夫は日本、私は上海(伊勢利子)

第40回 差別化にみごと成功?

こりずに、またもや高校生時代を
1年間デンマークで過ごしてしまった娘です。

帰国したのは、またまた高校生にとって
地獄の受検シーズンが始まる3年生の春。

すっかりデンマーク人になって帰国してみると?
あらっ!また、みんな受験勉強のまっただ中。

娘もあわてて、わけもわからず共通試験のようなものを
とりあえず受け、親の方も偏差値が何点とかって、学校の先生から
聞かされ、親子共々まったくわけがわかりません。

あれよ、あれよといっている間に、
受験する大学に願書を出す期日が迫ります。

私たちは作戦を練りました。
とにかく、なるべく点数配分の大きく違う大学を選ぶこと!
英語の配点は200点、国語は100点など。

そして、得意の英語で他の生徒をできるだけ引き離そう・・・
という作戦です。作戦?なんていっても
誰しも考えつくとても単純なものですが。(笑)

高校の担任の先生の心配をよそに、
作戦は見事成功し、受検した大学にすべて合格!
一生のあいだには、やはり首都;東京に住んでみるべきだ!
と考え東京にある大学を選びました。

大学では英語だけで受ける講義も多数あり
帰国子女も多く在籍していたので
娘は水を得た魚のように生き生きと
学生生活を楽しむことができました。

また、海外へ?いや、とんでもない、
ちゃ~んと日本にじっとして、大学を卒業しました。

大学3年生のとき、就職活動で偶然に出会った
デンマークの会社に就職してしまい
4年生は大学と仕事との両立生活でした。

この就職活動で、威力を発揮したのが
なんといっても他の人との差別化ができたこと!
英語が話せたこと?いえっ、違います。
そうですっ!デンマーク語が話せたことでした。

デンマーク人はもちろんみんな英語を話します。
すごく上手なのです。でも、面接のときに
社長と交わしたデンマーク語のおかげで
すぐ採用されちゃいました。

日本でデンマーク語をしゃべる
女の子に出会った社長は、
よっぽどうれしかったのでしょうね。

2007/05/29