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夢の上海(チャイひめ)
第48回 目標がなくなる
九星気学でみると、私は九紫火星で、月命星は三碧木星。
火と雷の気を持っています。
このタイプは、目標に向かって烈火のごとく燃え上がり、突き進むタイプ。
この象意そのままの性格の私は、目標に対する努力を厭わない性格。
努力しても、すべてが良い結果とは限らないのですが。
私は、初めて中国へ来たとき、何だかものすごい衝撃を受けて
「ここに来なくちゃ!中国に住まなくちゃ!」と思ってからというもの、
どうやったら中国に住めるか、そればかり考えていました。
とりあえず留学を考えて、お金を少しでも貯めることを考え、
少しでも中国語を勉強して、中国へ行ったときに備えることに。
(その間も、もし中国で就職口が見つかれば、いつでも中国へ行くつもりでした。)
生活費はそうとう切り詰め、仕事は掛け持ちで朝から晩まで働きました。
心身ともに疲れていても、中国語の勉強は欠かせませんでした。
その熱意と努力は半端なものではなく、
私の「中国へ行きたい!」という気持ちは多くの人が知ることとなり、
ある人が今の会社の社長を紹介してくれました。
その頃、私が今勤めている会社は、
大きな得意先が中国進出をして現地化が進んでおり、
うちの会社は売り上げが落ちている状況でした。
社長は生き残りのために、自社の中国進出を考えていたのですが、
大企業と違って人員乏しい中小企業、社員の中から駐在員を出すことはできず、
中国へ行ってもいいという人材がいれば、すぐに中国進出するのに・・・
と悩んでいたところだったのです。
会社と私、双方の目標が一致したのですから、即入社ということになりました。
私は夢の中国に住むことができると、大喜びでした。
上海に住むことが一番の理想でしたが、車で1時間半のところ、
上海からはそんなに遠くないところだったのは良かったことです。
北京や華南地区よりは、断然上海に近いわけですから。
たった一ヶ月半の日本での研修を終えて、
中国へ飛びだったのは、忘れもしない、2004年9月1日。
日本と違って発展著しい中国で、前途洋々の未来が待っています。
夢が叶って最高に幸せな一日のはずだったのです。
が、中国での新しいアパートに、少ない荷物での引っ越しが完了して、
その日の夜、(大陸的な)広いリビングの、大きなソファーに
一人ぽつんと座っているとき、どうしようもないむなしさが襲ってきました。
夢を叶えて中国に来た。
でも私、これからどうするんだろう?
どうすればいいの???
それまでの私は、「中国へ行くこと」に意識が向きすぎていたのです。
あまりにも「中国へ行くこと」が目標になりすぎていて、
中国へ行って何をするか、どんなことをするのかを考えていなかった。
(気分は結婚後のマリッジブルー、もしくは成田離婚一歩手前といったところ)
目標というか核を失った私は、憧れの中国の地で、
しばらく無気力状態での生活が続きました。
中国生活にも少しずづ慣れてきた頃、「これじゃいけない」と思い、
何かに向かって頑張りたいんだけど、ないわけだから、
「目標を探すこと」を私の目標とすることにしました。
中国に来て、いろんな経験から、人と交わることなく、
ほとんど引きこもり状態だった私ですが、
少しずつ外へ出かけていって、いろんな人に会うようにしたり、
いろんな本を読むことで自分の考えを深めるようになっていったのです。
2001年に三峡下りをしたときに撮った写真。手前の古い町は次の年の水の放流で水没する予定の町(2006年現在は当然水の底)です。対岸に見える新しい建物は、水没になる町の人たちの新しい家を政府が建てたもの。三峡ダム建設で家を立ち退かなくてはいけない人はなんと300万人にも及ぶそうで、西部開発のスケールの大きさに驚くばかりですが、その人たちの家まで作っているわけですから、本当にすごい。
2006/12/28