戸田ゼミ通信アーカイブ トップページ >> 夢の上海(チャイひめ)

夢の上海(チャイひめ)

第15回 日本と中国の海の色

不思議に思っていたことがありました。

中国では海や河は茶褐色(海南島などは綺麗なブルーですが)。
日本ではたいてい青碧色。

海は世界中どことでも繋がっているはずなのに、どうして??
茶色の海水と青色の海水はどんな風に交わってるんだろう??

今までに日中間を何度も行き来しているのですが、

上海空港を離陸→茶色の海が見えている→雲の上→
→雲の上→日本に到着→海がいつの間にか青

という具合なので、不思議だったのです。

林京子『上海・ミッシェルの口紅』(講談社・2001年)
という小説を最近読みましたが、その中に謎の答えがありました。

船で中国へ行くと、
「地球を二つに区切ったぎざぎざの線」が見えるのだとか。

「東シナ海の薄青い水と、揚子江の茶褐色の水が波状にうねりながら、
決して交わらず、一線を画している境界線」があるのだそうです。

日中間を船で旅したことはない私です。
いつか、その境界線を見てみたいなと思います。

さて、日本と中国。
二つの国の海水は不思議と混ざることがないようですが、
古来から人や物の往来多く、お互いに深く結びつきのある国です。
両国に関わり、数奇な運命をたどった人も少なくありません。

清国のラストエンペラーにして「満州国」の皇帝となった溥儀。
中国での言論を抑えられた内山鑑三や魯迅。
留学生として入唐後、唐の高官となり帰国できなかった阿部仲麻呂。
航海に何度も失敗し、失明しながらも来日した鑑真和上、など
ふと考えても、たくさんの人が思い浮かんできます。

上海の魔物に魅せられてしまったチャイひめや、
中国株の上がり下がりに一喜一憂している読者のあなたも
そうですね・・・!?

上記の小説の著者、林京子さんもまさしくその一人。

1930年長崎に生まれ、
翌年、商社に勤める父に従い家族で上海へ移住。
大陸を闊歩する軍靴の音を聞き、
日本兵を見かけると「万歳!」と叫んで育ったそうです。

1945年、激化する戦争を避け、帰国。
同年8月6日、長崎市内で学徒動員中、被爆。

いつしか核の悲劇をテーマに文章を綴るようになり、
「祭りの場」で芥川賞を受賞した作家さんです。

時代の流れに翻弄された林さんの文章は深みがあって、
林さんならではの視点で描かれた上海からは、気づきも多いのです。

ぜひご一読あれ。


チャイひめALBUMより〜茶褐色の長江〜

チャイひめALBUMより〜茶褐色の長江〜

黄土をたっぷり含んだ茶褐色の長江。この写真は、三峡ダムができる前の2001年に三峡クルーズで撮ったもの。船上で2泊3日、悠々と流れる長江のクルーズです。

2006/07/05