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散歩しながら(ぼうちゃん)
第70回 浮かんでは消えて
何も考えないようにと言っても、
これはなかなか出来ないことで、
だから歩くか眺めることが一番いいと思います。
体を動かせば自然に五感も活動する。
五感に意識を切り換えること。
瞑想が上手くいかなかったら
歩きに出よう、と思っています。
歩きながらとりとめもなく浮かんでくる思いは
考えるのではなく
浮かんでは消えるに任せる。
ところが
なかなかこれが難しい。
小林秀雄「常識について」に
こんなことが書いてありました。
出来上がった知識を貰うことが、
学ぶことではなし、
出来上がった知識を与えることが教えることでもなかろう。
質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。
だから、孔子は、相手の、この意志を叩くのだ。
叩いてその方向を示すのだ。
それは、自分自身に対しても
そう言っていることにほかなるまい。
正しく質問しようと努めるほかに、
どこに正しい知の働きを身につける道があろうか、と言う。
歩きながらぼんやり考えてみましたが
正しく質問しようと努める、
ということははたしてどういうことだろう。
じぶんで考える時間とかって、
どこにあるのだろう?
せっかく感じられた違和感を、
「それはなぜですか?」
「具体的にはどういうことですか?」
「もっとわかるように言ってください」
というふうな質問してしまうともったいないし、
正しく質問しようと努めることでもないような気がする。
じぶんで、ひとりで、じぶんのあたまで考える。
結論が出ようが出るまいが、
じぶんのあたまで考える。
それをくりかえすことが大事なんだと、
小林秀雄は言ってるのかな。
自分もそうですが
多くの人は質問するのが早すぎない?
てなことを散歩しながら思ってみました。
浮かんではすぐに消えてしまう泡のような思いですが。
2011/08/02