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散歩しながら(ぼうちゃん)
第57回 素でいいのだ
素でいいのだ、ということ。
話すことも書くことも含めて
生きることすべてに飾り立てたがる、
平たく言えば「格好をつける」ことが
誰にもあると思います。
でもそれでは実は何も伝わらない。
この歳になると
話している相手が素の部分をみせてくれないと
退屈で話を聞く気にならないし
書いてあることに本心がなければ
読むのを止めてしまいます。
無駄な時間がもったいない。
読み書きだけでなく
たとえば何かを習い覚えようとするとき
まだ入り口なのに上達を焦るあまりに
これから技や芸を身につけようとする人が、
下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。
人知れず猛特訓して
上達してから技や芸を披露するのが格好良いなどと、
よく勘違いしがちですが、
こんな事をする人が技芸を身につけた
例しは何一つとしてないのです。
まだ技がヘッポコなうちからベテランに交ざって、
バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、
平常心で頑張っていれば
上達に才能や素質などいりません。
名人上手も、最初は下手クソだとなじられ、
ボロクソなまでに屈辱を味わうのです。
しかし、その人が先達の教えを正しく学び、
尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、
名人上手にもなれるというものです。
どんな世界も同じです。
私の続けている合気道なども
初めは本当に転がることも出来ません。
受身が出来ないからすぐに怪我をする。
しかしイロハから習って繰り返し繰り返しやって
身体が覚えるまでやるしか上手くなる方法はないのです。
先だっても
まだ白帯の初心者がベテランの教えに腹を立て
それっきり道場に来なくなってしまったけれど
もったいないと思いましたね。
最初はみんな出来ないのが当たり前なのに。
習い事を始めてしばらくすると
コツンという当たりのようなものを感じる
オヤと思う時がありますが
そのときが上達の入り口なんですね。
そこに着いたらシメタものです。
面白くなり出して
いわゆる寝てもさめても、の状態になります。
何かと理由をつけてサボりたかったのが
夢中になって休むのが勿体なくなる。
そうなると目に見えて上手くなっていきます。
ですからその上達の入り口に立てるまでの
一時の辛抱が出来るかどうか、ですね。
何の世界でも格好つけずに素直な人が伸びますね。
2011/06/18