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散歩しながら(ぼうちゃん)

第39回 朗読

私は年寄りっ子です。

ですからまあ三文安のクチですが
祖父母の間で育つなかで
いくつか特別の体験もしています

祖父は本や新聞を声を出して読んでいました。

自分では小学校の国語の授業でこそ
声を出して教科書を読みましたが
大きくなるにつれ自然と
黙読になっていました。

その頃の大人たちはみんな新聞を読むとき
声を出してはいませんでした。

祖父の読み方はそれまで不思議に思いませんでしたが
一種独特のものなのだと気が付きました。

祖父は農家でしたので
天気のよい日は農作業をして
雨の日に暇さえあれば本を読んでいた
記憶があります。

私もそんな日は、隣に寝そべって
キンダ-ブックなどを読んでいたのだと思います。

いまの私は本を読むとき黙読です。

たまたま声を出して読んでみたら
なかなかこれが面白く
頭にも入る気がしました。

また懐かしい気分になりました。

雨の日の祖父の姿に
自分が似ていると思い苦笑しました。

そういえば、記憶は目で見るよりも
耳で聞いたほうが脳に入りやすいと
何かで読んだことがあります。

そこで朗読する本を選んでみることにしました。
あまり長いのは省き
短編小説か随筆の類にしました。

それまで読んで好きだったものの中から
まず、夏目漱石の坊ちゃん。

この小説は何回読んだか分かりませんが
近代小説の中で典型的な悪童物語で
ユ-モアがあり、また悲しみのある物語です。

つぎに樋口一葉のたけくらべ、

岡本綺堂の半七捕物帳、

向田邦子の父の詫び状、

などです。

まず、小説坊ちゃんには
清(きよ)という老女が出てきます。

彼女は盲目的な愛情で
坊ちゃんがどんなにいたずらが過ぎても

家族から疎まれても
清だけは心からの愛情でかばいます。

漱石の理想の女性像として書かれています。

親譲りの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。

という始まりから
岩波文庫18ペ-ジまで、出立の日までを朗読します。

そして終わりに近いところ

山嵐とはすぐ分かれたぎり今日まで逢う機会がない。

清の事を話すのを忘れていた。

だから清の墓は小日向の養源寺にある。

物語はここで終わりますが
何とも余韻があり、好きな場面です。

日曜日家族が出払って
ひとり秋の日など
朗読していると、気分のよいものです。

何度読んでもお終いのところで泣けてきます。

2011/04/15