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散歩しながら(ぼうちゃん)

第36回 月のあかり

私は自分が生まれたときの光景を見たことがある。

といったのは三島由紀夫さんですが
天才のことはいざ知らず

私の生まれて初めての記憶は
祖父の背中から見た景色です。

祖父の背中から見た景色に三つの記憶があり
月明かりの街道 
どんど焼き 
屋敷祭り

その中でも
祖父の背中で見た月の街道が、
私の最初の記憶の風景です。

私が四歳のときのことで、
私が生まれて初めて
脳裏に焼き付いた風景なのです。

月が出るころ、
祖父母に連れられて、
村の親戚へ風呂を貰いに歩いていきました。
畑に菜の花が咲いていた。

夕飯を済ませたあとで、もう日は暮れていた。
私は眠くて仕方がなかった。
それでも眠らずに風呂から揚がって、
祖父母が茶を飲むあいだ二人に寄り添っていた。

薄暗い座敷の奥に
女物の赤い着物が下がっているのを
すこし気味悪く見ていました。

孫も眠くなったようだからそろそろ、
私は祖父に背負われて。
暗い土間に降りると、黒い引き戸が重そうだった。

戸を開けて外に出ると庭は昼のように明るかった。
祖父は提灯の火を消し、
祖母に持たせ私を背負って先に歩いた
篠藪の道を抜けると川瀬の音が聞こえてきた。
暗闇でフクロウが鳴いた

四歳の幼児がこんなことを覚えているものか
と言われそうですが確かな記憶があります。

何故こんなことを書くのかというと
じつはこのことを瞑想に利用しているのです。

気が収縮していくときは海の蒼色のイメ-ジ、
温かく豊かで究極のリラックスと
安定感があります。

気が拡大していくときは空の青、
無限に拡大して飛翔していきます。

そしてすべてをコントロ-ルするときに
故郷の土の匂いをイメ-ジします。

その故郷のイメ-ジの景色が月明かり。
祖父の背中から見た月の街道なのです。

そのたびに私は普段よりもさらに深く
静かな瞑想状態になっていきます。

肉体感覚がなくなり、
全身に透明感を感じます。

しかし3・11以来
リラックスして楽しかった瞑想が
変化してきています。

私の孫がみる風景はどうなるのだろう。
やはり故郷を煌々と月は照らしているだろうか
かすかな不安が過ぎるせいです。

2011/04/06