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散歩しながら(ぼうちゃん)
第33回 寝押し
作家の向田邦子は
私の叔母と同い年ですから
一回り以上年齢の上の人でしたが
言葉が的確で、脚本家だけあって
文章が芝居の場面のように浮かび上がり
巧みな作家でほとんど読みました。
「傘をもってお迎え」
その頃の都会の子供は
不意の雨のとき、
やらなければいけないことは
近くの駅に傘をもってお父さんを迎えることだ。
夕方はそうした子供たちで
駅は溢れる。
そして子供から傘を受け取った
父親は「お」と言うだけである。
こんなエッセイは芝居の場面のようで
たしかに私の子供の頃のある風景でした。
また向田邦子は言葉にこだわり
昭和初期の日本人が使っていたことばを
記憶の中から引き出して、見せてくれます。
たとえば「おにぎり」でなく
「おむすび」と言います。
「お新香」とは言わず
「おこうこ」
「陶器」でなく
「瀬戸物」
トイレは
「お不浄」
女の子は
「ベソをかく」
その時代の日本人を髣髴させます。
女学生は
セーラー服のスカートの
「寝押し」をする。
私の叔母も寝る前に寝押しをしていました。
子供の私は枕元にキンダ-ブックを置いて寝ました。
向田邦子に言わせると、
おもてでお金を払って食べるのが
ライスカレーで、
自分の家で作るのが
ライスカレーなのです。
私たちも、うちのカレ-はライスカレ-だった。
ライスカレ-のときは
ズボンのバンドをゆるめて
お代わりをするものと決まっていました。
そこで向田さんに負けずに
私の育った幼少年時代
どんな言葉、風景、物から
その時代が炙り出されてくるか
お遊びとしてやってみましょうか。
水枕
西東三鬼の俳句
水枕ガバリと寒い海がある
死の影が寒々として海となって迫ったという句の意味
ですが、もちろん子供の頃はそんな深刻なことはなく、
風邪でも引いて熱が出て
母親が手拭いで包んだ水枕を
用意してくれた風景です。
流し
いまの時代のような
豪華なシステムキッチンの洗い場とはほど遠く
電灯も暗い台所の、小さく粗末な流しで
母親が米を研いだり、茶碗を洗っていました。
ニュ-ス映画
三本立ての映画の始まる前にかならず
白黒フイルムのニュ-ス映画がありました。
パラマウントニュ-ス。
独特の口調のアナウンサ-の声はいまでも覚えています。
汚く便所の匂いのする映画館でした。
コラムの読者は皆さん若くて
微妙なニュアンスは伝わらないと思いますが
ほかにも
蚊帳。 卓袱台。 肥後守。検便。などなど
映画の夕日の三丁目そのものの風景でした。
侘びしい中にも何かあったころの話です。
こうして昔のことを言いましたが
生活も現在のほうがずっと良いし
便利なのですが
懐古趣味や郷愁ではなく
半分くらい残してもいいかな
と思っています。
2011/03/28