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散歩しながら(ぼうちゃん)
第116回 誰のものではない
行きつけの店にふらりと立ち寄り、
ようこそと愛想よく言われ
いつもの席に案内されて、
黙っていてもお絞りが現れ
お銚子が前に置かれる。
何ということはなしに
時間がたちいつの間にか、
酒が身体にしみてくると
諸々のことから開放され
酒場で寛いでいる自分を発見する。
こういうことは、
人生のなかのほんの
ささやかな楽しみであり
金も手間も大して掛けずに
味わうことにほかならない。
先ほど歩いてきた
雨に濡れている歩道を美しいと感じ
変らない人の情けを
ありがたいと思ったりする。
すぐに消えてなくなる
珠玉の時間を大事に思う。
はるさめや暮なんとしてけふもあり
けふのみの春をあるひて仕舞けり
蕪村の句をつぶやいたり。
近い将来必ず
震度7の地震が来るとか
日本の将来は9割の人が貧しくなり
企業は海外に逃げてしまい
失業者と老人しか残らないとか
わが日本の未来は
恐怖と憂いばかりで
これでは誰だって
うつ病になってしまうような現実。
ある作家が
鞄いっぱいに本を詰め込み
一ヶ月ほど四万温泉へ
湯治に出かける話があり
何故か若いのにそんな世界に憧れました。
若いときにはリュックひとつで
見知らぬ外国の町へと云われそうだが
ナニ私は小田実でも椎名何某ではなく
この演劇評論家安藤鶴夫のように
鞄いっぱいの本と湯治が
ずっと魅力だった。
誰の時間でもない
自分の一番好きなことを
大事にしたいと思っていました。
人見知りでまったく社交性のなかった私が
今こうして暮らせるのも
能力なんかではまったくなく
運が良くツイテいただけだと
つくつく思います。
これからの十年
日本は会社がなくなり
仕事もなくなるというなら
子供や孫には
何処に行っても食べていけるよう
私の技術を伝えるから
ベトナムでもカンボジアでも
何処でも行けばいい
運があれば何とかなるさと言おうか。
放射能だ何だといっても
わたしはこの日本が一番好きだし
もう動けないのだから
遲き日のつもりて遠きむかしかな 蕪村
つぶやくだけです。
2012/03/13