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上海から家族への手紙(天真爛漫)

第7回 台所の床のその後

まっちんへ

床が浮き上がってしまって、修理期間中の留守番のアルバイトを探すことにしました。 なんとか、アルバイトを見つけて、修理の日程、段取りを物業管理と行いました。

修理の初日は、なぜかいやな予感がしたので、しばらく様子をみようと仕事を少し休ませてもらって、家に残っていました。

案の定、修理のおじさんたちは、時間になっても現れません。
やはりそうきたか、ここで引き下がったら、男がすたるいや日本人がなめられると思ってがんばること30分。やっと、修理の手配をしてみるので、30分後に電話をするといって物業管理は電話を切りました。

なんとか修理のおじさんが来たのですが、この前来たおじさんと違うおじさんが来ました。そして言うには、「こんなのは見たことがない。俺には手が負えない。」なめとんのかこらっという気持ちを抑えながら、なんとかしてくれないと困るんだよと必死に訴えること30分、やっと別の人間を呼んでくるとのこと。

いちいち30分かかるのかこの国は!という気持ちを抑えながら待つこと30分。やっとやっとこの前のニコニコ顔のおじさんが現れました。やっと修理がはじまると思ったときには、お昼をすぎていました。

全部タイルをはがして、おじさんが曰く、「ところでこの修理費は、大家が払うのか、あんたが払うのか?」
そっ、そっ、そんなもん知るか、構造的な問題なんだから、このアパートを造ったあんたところの社長が当然払うんじゃないのーという気持ちをどこにぶつけたらいいのかもわからないままに、おじさんは先に誰が払うか決めてもらわないと後でもめるのイヤだからと言って作業を止めて帰っていきました。

もうほととんどプッツン寸前でしたが、気持ちを取り直して大家に連絡すると、何と驚くことにすんなりと大家が払ってくれるというのです。さすがお金持ち、ゆとりのある人はどこでも違います。ホッと一安心で、修理を続けてもらいやっとのことで台所の床は元通りになりました。

工事が終わってみると、当然やりっ放し、平らに戻った床を始め、台所はほとんど廃墟と化していました。ほこりだらけもいいところです。取り壊し中のビルの一室のようです。

また休みを使って、台所の大掃除をしなければなりません。
トホホの大騒動でしたが、兎にも角にも、無事に台所の床は元に戻ったし、また何かが起こる度に、一つずつ勉強させてもらっていますと前向きに考えています。

日本に戻ったら、とても寛大な心を持っているかもしれません。きっと先輩たちはもっと苦労しているのでしょうから挫けずに、楽観的に頑張っていきます。

とうさん

2010/05/25