戸田ゼミ通信アーカイブ トップページ >> パラン・パラン(スエナリ)

パラン・パラン(スエナリ)

第58回 栗まんじゅう

桐生に向かって、50号線(伊勢崎)を走っていると、
右手に「国定忠治の墓」の看板を発見。

躊躇するが、引きかえし、→にしたがって、
しばらく、行くと、国定一丁目交差点あり、
もうそろそろかなぁと、構えていると、
右に曲がれの案内板、小さな集落の中の
寺(天台宗 養寿寺)に、墓は、ありました。

「文化7年(1810年)生まれ、13歳頃から
博打をおぼえ、天保5年の春「島村の伊三郎」を
斬殺して、有名に。大戸の関所破りで本格的な
博徒に、弘化3年赤城山にこもったことは有名。
嘉永2年に「滝川の安五郎に跡目をゆずる。
嘉永3年の7月21日に、中風(脳梗塞)となって
8月24日に御用となる。
嘉永3年(1851)の暮の21日に大戸の関所で
「はりつけ」の刑に処せられた。
41歳の若さであった。」
寺の説明文より

上毛線の西桐生駅まで、入善から353kmありました。
帰り、桐生名物栗まんじゅう(藤城屋)をいただき、
薮塚温泉元湯に入り、帰路についたのでした。

〇 モンゴル相撲/ ウランバートル

2008/09/03