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パラン・パラン(スエナリ)

第9回 ポニーテール

2000年2月、肺がんで入院し、手術を受けた。
診断は左肺葉の腺がんで、左下肺葉を切除した。

1999年9月、3年ぶりに受診した町の定期検診で
陽性と出て、病院で、精密検査を受けるように、
保健婦から連絡があった。

びっくりやら、怒りやらで、納得できず。
すったもんだしたあげく、11月黒部市民病院でCTを受ける。
担当の医者が煮え切らない感じの人間だったので、
富山中央病院に変更、1月に検査入院をする。

肺の内視鏡で細胞検査、ヘリカルCT、骨シンチ等を受け
手術が必要とされ、担当が胸部外科に移った。
内視鏡手術の可能性を聞いてみたが、
不可能とのことであった。

手術を受けて救急室に移るのですが、
痛いに何の、息がまともに出来ないので、
死ぬ苦しみ?だった。
おまけに。背中に刺した麻酔剤が外れてしまって、
しばらくは、頭を上げることかなわず、廊下を見ながら歩ていた。
カットラインは左肩甲骨外縁に沿って、脇の下までです。
寒い時や疲れるとチカチカと痛みます。
肋骨3本カットしたそうです。

このごろの病院は、手術しても短期間で退院させようとします。
二週間で出ていけと言われたのですが、

ねばって、三週間いさせてもらいました。

ちょうどこの時期、母も心臓肥大で黒部市民病院に入院していて、
同時期退院したので、魚津の北山鉱泉(平左衛門)に
兄貴の配慮で、一週間湯治したものです。

病室は六人部屋だったのですが、
向かいのベットの椿さん(60代)、隣のベットの神子澤さん(40代)
この年に、肺がんで亡くなっています。
母(78歳)もこの年、7月3日に亡くなりました。

中央病院の9階だったのですが、
食堂、待合室から、晴れた日は立山連峰が
一大パノラマとして見渡せます。
この階の並びにはホスピス病棟もあります。

この時、つややかな黒髪?が背中まであったのですが、
坊主になりました。

2008/02/06