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知者不言、言者不知(村上悠悠)

第2回 なぜ大学は移転しなければならなかったのか?

なぜ大学は移転しなければならなかったのか?
これを知ったのも、つい数年前のことでした。
大学の移転には「工場等制限法」という法律が絡んでいます。

これは、あと2つ「工業再配置促進法」「工場立地法」とあわせて
「工場制限三法」と総称されます。
産業や人口の過度な集中や深刻化していた公害問題などに対応するため、
昭和30~40年代にかけて制定されました。

これらの法律の下で、京浜臨海部をはじめとする首都圏や近畿圏の
既成市街地における作業場等の新設・増設を制限する一方、
補助金交付などの優遇措置で工業の集積度が低い地域へ
工業の再配置を促進する政策が取られてきました。

つまり、それまでの工場より大規模な工場に建て替えることは
都区内の同じ場所には出来ない、ということです。
その代わり、郊外や地方に建てるのだったら、
優遇してあげるよ、ということです。

さて、この法律に大学の移転も関わってくるのは、
「工場等制限法」の「等には大学を含む」という事項からです。

現在は大学は少子化のせいもあり「冬の時代」ですが、
昭和40~50年代までは学生数はどんどん増えて、大変な活気でした。

ですから、既存の大学は学生数を増やしたり、学部を新設していました。
しかし、学部を新設したり、教室を増設するには、
移転をしなければならなかったのです。

この法律が改正されたのは21世紀に変わる頃でした。
「等には大学を含む」という部分が無くなったのです。

これにより、都心に大学の高層建築が増えていきました。

さて、多くの大学は制限法のもと、移転したり、
郊外に第2あるいは第3キャンパスを持つことで凌いできたのですが、
中にとてもユニークな対処をして、移転せずに
同じ場所で学生数の増加に対応した大学があります。
その驚くべき柔軟な発想は次回に。

2008/01/07