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丘の上から(小日向次郎)

第88回 北国から2013年を思う

明けましておめでとうございます。

旧年中セミナーや忘年会で皆様には
大変お世話になりましてありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い致します。
帰省されている方が多いのでしょう、
都内は静かです。

私自身は東京生まれの東京育ちで実家も都内で
歩いて30分くらいのところですので
特に帰省することはないのですが
鉄道ファンである小生にとり
帰省列車や臨時列車にとても反応します。

特に北に行く列車ですが。
子供の頃、よく眺めた時刻表には、
北の故郷に向かう臨時列車が大増発されていました。

夜行急行「八甲田」とか「十和田」などです。
今でこそ新幹線が主な鉄道の帰省手段となっていますが
30年以上前までは、4人対面固定式の座席が主流の客車が
活躍していたと思います。

上野駅には半日も前から切符を握りしめた
出稼ぎで上京されている方が多かったと思いますが
乗る急行列車の乗車位置が書かれている札の下で
故郷を思いながら列車の出発を待っていた
そんな光景があったと記憶しています。

新幹線などの早い交通手段ができたら
年の瀬ぎりぎりまで働いているのではないでしょうか。

北国のこと・・・、ある日
新田次郎作 壬生義士伝 という本を読み、
吉村貫一郎のことを知りました。

新撰組と言えば、局長の近藤勇、戊辰戦争で有名な土方歳三、
イケメン沖田総司が有名でテレビや映画によく出てきます。

この本を買ったのは5年前のことだと思います。
その時は、この人物については良く知りませんでした。
本を読んでも「歴史本」程度の感想でした。

このように1度読んで本棚に眠っていたのですが、
最近何気なく手にして読んでみると、
今の自分と共通する部分があるような気がしました。

吉村貫一郎は、幕末に由緒ある現在の岩手県の相当部分である
南部藩(盛岡藩)の出身であるにもかかわらず脱藩し
華の都京都の治安維持担当の任であった新撰組に参加。

戊辰戦争中に残念な最後をむかえました。
その品行方正にして文武両面に優れているので
別に脱藩しなくても南部藩で十分に通用したはず。

当時脱藩することは犯罪ですから、
見つかれば命はなかったと思いますが、
家族を豊かにしたい一心で単身出稼ぎのために
新撰組に入隊したのは、本当に尊敬します。

他人がしたくない切腹の介錯や、
とても危ない仕事をすることで
より多くの御手当てを得て、
家族に送金していたそうです。

一生懸命小さな「銭っこ」を貯めに貯めている貫一郎を
当時訝しがったり、揶揄したり人もいたそうです。

今は幕末のような乱世ではありません。
そんな中、アジア諸国(特に中国、インド、ベトナム)の
経済発展は目覚ましく、日本の産業界が守りに入る企業が
多くなりました。

 一攫千金を夢見て日本で育んだ心と技でアジアに行く人も
増えていると聞きます。

幕末と現代は一緒ではありませんが、
豊かさを求めるその「純」な心を大切にしたいと思います。

1サラリーマンが言うのもおかしいですが
雇用だ経済だと言う前に、
安定した仕事の中にも「純」な心を
「純」な心をより躍動感あふれる経済と
人の活動ができる政治と金融を。

2013/01/01