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丘の上から(小日向次郎)

第36回 スコッチパスポートウクライナ①

英連邦スコットランド王国の在エジンバラ日本総領事館で
発給したパスポートを1998年11月より使用していたことについて
先日お話しました。

なにげなくパスポートの中身を見ていたら、
1999年6月27日ウクライナ共和国に入った際の査証が
ありました。

1999年と言えば、滞英中のことであり、
論文の進捗状況がはっきりしなかった頃だと記憶しています。

春頃、ウクライナのドネツク国立大学の教員と知り合いました。

なんでも、夏休みに経済学部3・4年生の学生100名の夏期講習中
学生に何か教えてくれないだろうか?と誘いがありました。

「とにかくウクライナの首都キエフまで来てください、滞在費は不要です」

2週間ウクライナに滞在できて無料とはなんとも魅力的。

イギリスでウクライナに関する情報を収集しましたが、
特に治安に関しては良くないと教授からは随分心配されました。

「日本人が行くなんて、誘拐の的になるようなものだ」
真顔で話していたのですから。

当時、ウクライナ入国の査証はロンドンで取り、
申請して受領するまで1週間必要でした。

ロンドンからウクライナ国際航空に乗りキエフへ、
そして大学の方と共に夜行急行列車でドネツクに入りました。

キエフの空港は、市中心部からとても遠いところにあり、
ターミナルビルが旧ソ連時代のまま。

雑然とした到着待合場所。どうやって待ち合わせを果たすのか。

人生最初の旧ソ連圏ということもあり、緊張度合はかなりのもの。
見るもの聞くもの全てが古くて新しいモノだらけ。

キエフ市内へはバスが1時間に1本しかありません。

バスに乗り、バスを降り、駅をゆっくりと眺める間もなく、
列車に乗って5分もしないうちにドネツク行き急行列車は発車。

外の風景を見れば、日が沈むまで変わることのない(と思える)風景。
大草原のまんなかでした。

1等寝台車に揺られて14時間、ドネツク炭田で有名なドネツクに
入りました。

鉄道ファンにとってウクライナ国鉄は、旧ソ連時代からの古い車両を使用。
とても地味でしたが、列車の運行はスピードが遅いながらも正確。
車掌さんはとてもしっかりしていたのが印象的。

車両はウクライナの国旗と同じく薄青と黄色の車体。

ドネツクですが、街中から何か焦げたような、燃えたような臭いが。

それもそのはず、街全体が炭鉱でドネツク炭田(通称ドンバス)と言います。

街のあちこちに坑道が掘られたため、
地下鉄建設が不可能でその当時はトロリーバスや市電が街の主役でした。

今はどうなっているのだろう?

アジア人が少ないこの街で、日本人である自分は本当に目立ちました。

2010/08/27