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丘の上から(小日向次郎)

第3回 わが母校について

アメリカでの学生生活は、五大湖地方のミシガン州の州都ランシングでした。
ミシガンと言えば自動車産業で中心地はデトロイト。
北ミシガンで採掘された鉄鉱石を鉄道で運び、
水路と交差するこの地点が交通の要所だったこともあり、
この産業が始まったとFORDにお勤めになった友人お父さまから伺いました。

ミシガンには1989年夏から1993年末までお世話になりました。
出発時はバブル後期の頃と思います。

わが母校ミシガン州立大学は農学校を起点とした総合大学で、
小生がいた当時のことで恐縮ですが、
キャンパスにはバス路線が4路線、
5万6千人収容のフットボールスタジアム、2つのゴルフコースなど
「無い施設はあるか?」と思わんばかりの学園都市でした。

ギリシャ史に出てくるスパルタンの戦士が学校のシンボルで、
大学に所属する全スポーツチームの名前は「Spartansスパルタンズ」です。
応援旗は緑に白の「S」を抜き文字にしたものです。

小生の卒業した大学には、多くの日本人留学生が大学付属の語学学校にいました。
日本から流出する学生がバブル期から急に増え、
両親が豊かな子弟が多かったためと思われます。

「日本の大学に行けない人がアメリカの大学に入る」とか
「お金があれば留学できる」と話す人が当時多くいました。

確かにそのような側面はありましたが、
実際は大学の定めた入学基準と英語を母国語とする人でも「落第」となり
学校を追われる学生も多いカリキュラムを修了して卒業になります。

生活面では、Freshmanと呼ばれる大学1年と2年生は原則寮生活を義務付けられており、
集団生活を行うように指導されます。
言語・文化・習慣の違いを越え卒業が決まった時、
うれしさよりも「肩の荷が下りた」という安堵のほうが先行しました。

次回は、学生生活の中で楽しかったことについて書きます。

2010/01/12