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中国名言と株式紀行(小林 章)

第125回 中国・天津より/中国株日記 (61)

【NO.62】中国、天津より(2)
もうそろそろ、この中国・天津日記シリーズも終了に近づいています。
終了後は「アジアで起業講座」シリーズにリニューアル・オープン致しますが、起業に繋がる話を少しづつ何回かに分けて書いてみたいと思います。

今回は、このグローバル化の時代に日本人は「内向き」でよいのか、という問いかけです。

例えば、邱永漢先生が『日本脱出のすすめ』の前言で書かれた言葉を思い出してみて下さい。
「日本人の多くは、もう政治に多くを期待することができなくなる。なかでも経済に従事する人々が政府に何かやってもらおうなどと思ったら、あてがはずれることは間違いない。
華僑と呼ばれる人々が政府の援けなど一切あてにせず、自分らの力で自分たちの財産と地位を外国に築いてきたように、日本人も自分らの会社をシェルターとして、チームワークを組みながら国際的に自分らの世界を築かなければならない時代になってきたのである。というのも日本政府が国際的にうまく対応していくだけの機能を失ったために、企業の利害と国の利害がうまくかみ合わなくなり、生き残りのために、企業自体が多国籍化を余儀なくされる方向にドンドン動いているからである。」

この文章は邱永漢先生が1993年8月に「上海より青島に向うMU機上にて」書かれたものですが、ほぼ十年前に記述されたものだとはまったく驚きを感じざる終えません。この状況認識は、将に今の日本の現状にピッタリなのです。

邱永漢先生の言葉が、資本の厚い有名企業に対してではなく、その多国籍企業に負けず「華僑」を手本として、自分たちの資産を守り増やすために海外に個人でも企業を興し、それぞれの得意分野を活かして協力して起業すべし、と受け取ることもできるでしょう。私にはそう理解できます。
邱永漢先生ご自身も、最後の力を振り絞って中国事業に打って出られたではありませんか。
いわば、ご自身が先導者として、身を以て後進に道を開かれた、というべきでしょう。

日本人は、国民全体で約800兆円超の預貯金(外貨預金を除く)を保有しながらも、概ね「投資音痴」や「マネー・リテラシーが低い」と見なされます。この膨大な約800兆円の預貯金は国内に止まり僅かな金利も生まず塩漬けにされた資産です。人々が日本という国に対する厚い愛着と信頼感を持ち続けている結果です。
しかし、常識ですが、その思いは国民の側の一方的な有り様であって、国は最後まで個人の生命には配慮しても、個人資産の面倒までは見てくれないと思った方が賢明です。事実、その方向性は現実味を帯びてきています。

いまや日本の財政赤字は1233兆円超、国民一人当たりの債務残額は約970万円となっており、対GDP債務比率(家計にたとえれば、世帯収入に対する借金の割合)は200%を窺う段階にまで財政状態の悪化が深刻化しています。もちろん、先進20カ国中最悪です。それも断トツにです。米国やフランスが約93%、英国やドイツなどが80%台ですが、欧州経済危機の元凶といわれたあのギリシャでさえ120-130%、イタリアやスペインなども120%後半なのです。
日本の国債の95%が海外債務となっておらず、逆に世界最大級の対外債権国であること、また国内の金融機関が大多数の国債を保有していることを以て、まだデフォルトの心配はないといいますが、国の債務は紛れもなく借金であり、国民の預金で賄われているのです。
こうした国の多額の債務は、いずれ国の信用力の低下や将来の若年層に負担を背負わせることとなります。
さらに、不安要因として、日本政府はキチンとした国の将来ビジョンや戦略を持っていないように思われます。あいかわらず過去の箱物行政とバラ撒き予算にこだわり、国富を積極的に増やすような施策に税金を使おうとしていません。馬鹿のひとつ覚えのように米国債に外貨準備の大半を傾斜運用しすぎており、本来は分散投資でリスクヘッジすべき所を最初から諦めています。

これからの日本の将来予測は、比較的容易です。
思えば日本は、過去1990年代まで約40年にも渡る右肩上がりの高度成長と安定成長の果実を奇跡的に享受することができました。企業は工業化によって付加価値を創出して国富を増やすことができました。それにより、定期昇給や土地・株の値上がり、郵貯等の高金利を生みました。税の増収により進んだインフラ整備と高福利社会を構築できました。
ところが、バブルの崩壊を経て1990年代以降、出口の見えない「失われた20年」といわれる低成長、マイナス成長が当たり前の成熟期の経済国に転落してしまいました。「さらなる10年」という人もいますが、それが10年で済むものかどうかは確証はありません。奇跡の高成長の反動だから「40年」では終わらないという人もいます。わかりません。

しかし、今後確実に予想できるのは、あくまでも国家財政のデフォルトを避けるならば、国の巨大債務の償還のために大型で広汎な【増税】しかないということです。また、債務の縮小のためには国債の発行を抑制することです。さらに、債務を目減りさせるためには【インフレ政策】と【円安誘導】しかありません。

【インフレ政策】は、通貨円の価値を下落させ債務を縮小させることができます。また【円安誘導】は、日本の製品輸出を促進させて企業収益を上昇させることができます。
これによって、国の債務は実質的に減少はしますが、円の貨幣価値の目減りや円建て資産の価値も目減りせざる終えません。
「アベノミクス」と呼ばれる政策が、将にこうした動きとなっています。こうした動きを持ち株の価値が多少上がったからといって賞賛するのは、一連の流れがわかっていないからです。無知をさらけ出しているようなものです。破綻への引き金を引く動きが早まっているのかも知れませんよ。目を凝らしてよく観察してみて下さい。
これは、一歩間違えると円安による原料・食糧・燃料費の輸入価格の上昇による高コスト体質の定着や激しいハイパー・インフレを招く危険性があります。最悪ではかつてのアルゼンチンで起こった経済破綻など想定されます。

日本国内での「不動産の資産価値」の低下も例外ではありません。一般に不動産はインフレに強い資産といわれますが、これからの日本経済は成長から成熟期に入っており、日本の人口は少子化で減少国となります。人口の減少は消費の減退、労働力の減少、経済の収縮、住宅需要の減少、不動産価格の下落という悪性のサイクルを招来させます。「不動産は例外」というわけにはいかないのです。逆に「不動」の財産ですから、流通流動性が減少すれば、身動きが取れず「重いお荷物」ともなりかねません。

間違いなく日本では、円の価値が暴落する可能性が大きくなっています。その時、日本人は大損害を被ってしまうことになります。すなわち【日本で円ベースで資産を持っていること自体がリスクである】ということに気付くべき時です。資産を日本円に集中しておくこと自体が最大のリスクとなりうることに、そろそろ日本人は気付くべきでしょう。

では、どうそのリスクを回避しておくべきなのか。
世界を見渡せば、利回りが6-8%でなおかつ安全性の高い投資は数多くありますし、欧米では個人が堅実投資で10%程度の運用益を目指すことは常識です。日本人も他人や金融機関任せではなく、本格的に個人で知識とノウハウを得て、リスクを取ることを恐れない積極性さえあれば、成長国の海外市場と円以外の通貨で、自己資産の3割から半分程度を運用し、有利な運用益を手にしながら、円のリスクを積極的にヘッジしておくべき時です。

日本政府は、約1500兆円とも言われる個人の預貯金をはじめとする株・債権などの有価証券等まで含めた金融資産を手がかりにやりたい放題に赤字国債を大量に発行し、財政赤字を積み上げてきました。政府は自らの無策を棚に上げておいて、この個人資産が海外へ出ていってしまうことを異常なほどに警戒しており、一度に200万円以上の金融機関からの海外送金に届け出義務を実施しており、個人のハンドキャリーについては税関で100万円以上の持ち出しについては申告を必須としています。実はその程度の個人のお金の海外送金や直接持ち出しには何も問題ないはずですが「小を許せば、大に繋がる」と政府が過剰に恐れているから「鎖国策」に傾くのです。
国益や国富は「鎖国策」で守り増やすことができないのは過去の歴史をひもといて見るまでもなく、常識です。日本政府は、国際社会で日本だけが生き残るべきと考えているのでしょうか。

この私有制を憲法に保証された国で、個人が自らの財産を自由意志で守り増やそうとするのに、なぜ政府は厳しい監視・制限を設けようとするのでしょうか。「嫉妬」社会の業でしょうか。わかりません。
政府は国民の将来ために本気で財政再建と増収策と小さい政府等のリストラに向き合うべきでしょう。個人の金融資産はほったらかしておいても制約を設けても自由に国境を越えるものですし、合法的な越境に対して政府が介入すべきでもありませんし、その権限もないはずです。
政府は、個人資産の越境を恐れるならば、そうならないためにもっと自浄作用を働かせて国民のためになる魅力的な政策やサービスを充実して、国の活力と国富の増強に資し、統治機構としてのあるべき自助努力をもっと行って欲しいものです。

贈与税や相続税の減税や廃止、また企業への法人税の減税は世界の趨勢であるにもかかわらず、この国では企業法人課税のみ減税の方向ですがまだまだ他国に比べて高率ですし、国際間の競争に積極的に参加し先手を打つような意志に乏しく、また個人への課税は強化傾向は鮮明です。莫大な政府債務が存在するために、止む終えない措置ではあるでしょうが、高コスト体質の社会インフラと相まって、国家としての魅力には欠ける措置となっており、体力と財力のある大企業だけが節税のために海外へ主だった収益部門を退避できているのです。
大企業はその資産を多国籍企業として、グローバルな事業展開を視野に海外に移す手段がありますが、個人には殆どその手段がないと考えられています。おかしなことです。

個人は、黙って言いなりではなく「行動する投資家」として、個人の金融資産を守り増やすために積極的に打って出るべきです。それは、海外での成長国への株投資でも、不動産投資でも、事業投資にでもです。

今すぐにでも、まだ円高であるこの時期が最後のチャンスです。
【日本で円ベースで資産を持っていること自体がリスクである】事態を積極的に退避するためには「行動」が重要です。真剣に考える必要性を感じている人は自ら進んで研究しておくべきです。決して、他人任せにしようなどと考えないことです。
ひょっとしたら、ぐずぐずしているヒマはあまりないのかも知れませんよ。

そもそもグローバル化の時代での日本の取るべき成長戦略は、日本からの企業や技術や資金や人材の流出を食い止めることではなく、熱意ある個人や企業や資金が積極的に海外に打って出ることで、日本発の、日本で培われてきた技術や人材や資金でもって相手国の経済成長や生活の改善、サービスの向上に好影響を与え、現地にうまく溶け込み、友好的、かつ互恵的に持続・発展し、成功資金の一部がまた日本にも環流してくるという仕組みを作り出すことです。

ヒントはボールゲームにあります。
ボールゲームといっても、比較的年配者の日本人の好むベースボール型ではなく、サッカーやバスケのようなボール競技で、世界各地に多くの若い競技人口を持つグローバルというに相応しいボールゲームを想起して下さい。
こうしたボールゲームではゴールを決めることが試合を決しますが、そこに至るまでの過程で、受け取ったボールを多彩なコースにパスして、ワンタッチで決定的な仕事をこなすファンタジスタと呼ばれる名パサーのところにボールが集まってくるという原理が周知されています。
受け取ったボールを自分のものにして強引にゴールに向かい手放そうとしないプレーヤーや常に決まったコースにしかパスを出さないような偏屈なプレーヤー、重要な地点でボールキープをできないプレーヤーには結局誰もパスをしなくなるものです。
国境をも易々と超えうる経済や情報、人材交流のグローバル化の進展局面においては、ボールゲームでの独善的で偏屈なプレーヤーはパスの通らないゲームの周縁にはじかれて結局無視されるお荷物的な存在へと転落していくしかありません。
ボールゲームの機動的な環の要(かなめ)となり、積極的に機能することで日本は是非ファンタジスタと呼ばれる名パサーとして、グローバル化の時代で外せないキー・プレーヤーを目指して欲しいと望んでいます。そういう位置に立つことで、必ず復興を遂げることができると私は信じます。

それと更にヒントはもう一つ。
邱永漢先生の指摘された「中国の香港化」というキーワードです。
1997年の香港の中国返還後、香港への悲観論をよそに中国国内に「中国の香港化」現象が起きて、経済の開放と自由化と活性化が大きく進展します。そして、香港にも中国からの資金や人、企業がどっと流れ込んで共に栄える現在の姿が現出しています。
成長するアジアで、さらに世界で「アジアの日本化」や「世界の日本化」が進めば、アジアや世界への日本の貢献は鮮明になり、ひいては日本にも繁栄をもたらす結果となると信じます。
2013.02.17

注)この記事は、過去のものからの再録の形で転載させていただいております。時事的に古い話題が取り上げられていますが、内容的には時間の風雪にも耐えられるものと思い、取り上げさせていただいております 。 

2013/07/05