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中国名言と株式紀行(小林 章)

第106回 四000年を学ぶ中国名言/「僕のパパは李剛だ!」

『奇に驚き異を喜ぶ者は、遠大の識なし(驚奇喜異者、無遠大之識)』
                               出典【『菜根譚』前集・百十八】
[要旨]風変わりで珍しいことばかりに目がいく者は、大局に立った眼識が持てないこと。
前回の「奇貨居くべし」とは打って変わって、今回はその逆のような言葉です。
『菜根譚』百十八では「驚奇喜異者、無遠大之識、苦節独行者、非恒久之操(奇に驚き異を喜ぶは、遠大の識なく、苦節独行は、恒久の操にあらず)」とあります。
大意は「珍しく目新しいものに感服したり、風変わりなものを喜ぶような人は、ただ浅薄であるだけで、深い見識に欠けている。また、極端に潔癖で節を曲げず、世にそむいて無理して我流を通そうとするような人は、結局人の常道を外れているので、長続きはしない」というほどのことを言っています。

珍しく目新しいものに目を向けることは何も悪いことではないような気がします。
むしろ、誰も気付かない時に、その新奇さに光を当てて、時代の先を読み、素速く手を打っておくことで、思わぬチャンスや利益が転がり込んでくるということも考えられます。
また、かの名高い『史記』の著者である司馬遷も「奇を愛す」との評価がなされていますが、人物の中にある類希な才能に重きを置いた富人や酷吏や刺客、盗賊などの記述に「奇」を見いだすことができるのでしょう。

別に「奇を衒(てら)う」という言葉があります。「わざと普通と違っていることをして人の注意を引こうとする」ことです。中国語では「卖弄奇特」と言います。
「その場のひとの注意を引き、人気を取ろう」というのが今回の言葉の眼目のような気がしてきます。「浅知恵」と笑えばそうですが、流行ってはすぐに消えてゆく、まるでテレビの芸人の役回りのようです。

李啓銘は2010年当時22歳で、河北省保定市の河北大学の学生でした。10月16日21時40分頃、彼は黒のフォルクスワーゲン・パサートで大学の南門から構内に入り、女子学生寮で1人の同行の女子学生を降ろした後、制限速度5キロの構内を暴走しローラーブレードの練習をしていた2名の女子学生をはねてしまいます。車はそのまま逃走しようと南門に向かいましたが、門は既に閉鎖されていたため停止したところを駆けつけた学生と警備員に取り囲まれます。現場には21時47分に救急車が到着し被害者学生2人は救急車で運ばれます。
この時、車を運転していた李啓銘は酒に酔っており、不用意にか浅知恵でか「有本事你们告去、我爸爸是李刚(やれるもんなら訴えてみろ、俺の親父は李剛だ!)」と叫んでしまいます。
この事件は、被害者の女子学生1名が頭蓋脳損傷により翌日17時20分に死亡し、もう1名も左膝蓋骨粉砕骨折などの重傷という加害者・李啓銘にとって最悪の事態を招いただけで済まなくなってしまいます。この事件が知られると、中国のネット上で大きな反響が巻き起こります。

官二代(高級公務員の子弟)が起こした事件に対する世間の風当たりは強く、父親の李剛は21日、マスコミの前で息子の不祥事について涙の謝罪会見を行ないました。
「父親として息子の不始末をお詫びします。被害者の方に心よりお詫びします」と深々と頭を下げ「息子の肩を持つことは絶対にしません。法律に基づき、厳格に罰を受けさせます」と言った姿がテレビで放映されました。また、留置所にいる息子の李啓銘もインタビューを受け、泣きながら謝罪する姿が併せて放映されています。

結局、ネット上で「人肉捜索」(ネットユーザーが協力して個人情報を暴くこと)が行われ、李啓銘の父親が河北省保定市公安局北市区の公安警察ナンバー2であることや個人のプライバシーが次々と明らかとなります。そして、親子には保定市内に5つの不動産所有があり、その資産価値が766万~844万人民元(約1億から1.2億円)であることが推測されます。
事件自体の顛末は置くとして、ここでネットユーザーが黙っているわけもなく、ネット上では彼の咄嗟に叫んだ「我爸是李刚(俺の父親は李剛だ!)」という言葉が溢れかえり、大流行して、投稿サイトではどんな悪事を働いても「僕のパパは李剛だ」で許されてしまうというパロディーコンテストまで出てくる始末です。替え歌まで作られて、ネットで盛んに流されました。
中国のインターネット上では「我爸是李刚(俺の父親は李剛だ!)」という言葉が2010年の流行語となり、インターネットサイトの天涯社区が発表した2010年のネット流行語ベスト10では投票でNO.1に選ばれたほどでした。

李啓銘は、咄嗟に不用意な言葉を発しましたが、本人はその時は適切な言葉だと勘違いしていたのかも知れません。いかにも「浅知恵」でした。浅はかにも、彼は「父の力を借りれば、事件など簡単にもみ消せる」という思いが頭をよぎったのでしょう。いえ、彼の頭の中にはその思いだけが渦巻いていたのかも知れません。
確かに「僕のパパは李剛だ!」が通用した「時と場所」があったのでしょうが、この言葉の回答は、この問題に対しては有効ではありませんでした。問題をよく吟味して回答を出す必要がありました。
すなわち彼を取り囲んだ人々に「わざと普通と違っていることをして人の注意を引こうとする」ような真似をしてしまって、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのでした。
まさに「奇を衒(てら)う」ような真似をしてしまったのです。

李啓銘の自動車運転過失致死事件の判決は、2011年1月30日河北省保定市望都県人民法院で、交通事故罪を認定し懲役6年の一審判決が下されました。ここで裁判所はひき逃げ事件ではないとの見方を示し「重大な交通事故事件」(懲役3~7年)とは認定しましたが、すでに示談が成立していること、李啓銘が改悛の情を示していることなどを理由に、6年と量刑を定めました。

すでにネットでの注目度は事故当時とは異なり、刑が軽すぎるとの書き込みは多くありましたが、以前のネット炎上のような盛り上がりには欠けました。
李啓銘、李剛親子の復権への戦いはネットでの関心が薄れたこれからが本番です。
父親が息子の仮釈放等の工作に動き出すなか、被告・李啓銘は監獄内で「官二代」(官僚の二代目の子息)の優位を取り戻す戦いに、気持ちを奮い立たせているでしょうか。
若い時の挫折や過ちは仕方ないでしょうが、気持ちが萎えるようだと、かれの「官二代」あるいは「富二代(金持ちの二代目)」の将来は暗いひねたものとならざる終えないでしょう。
                                53「僕のパパは李剛だ!」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/05/28