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中国名言と株式紀行(小林 章)

第102回 四000年を学ぶ中国名言/「腐敗に対しては、過去は咎めず原則」

『既往は咎めず(既往不咎)』
                                    出典【『論語』八佾篇】
[要旨]過去の過ちは咎めないこと。むしろ、将来に慎むことが大切であるということ。
「既往不咎(きおうふきゅう)」と四字熟語としても馴染みがあります。「既往」とは、過去のことを意味します。
原文では、孔子が弟子の宰我に「成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず(成事不說、逐事不諫、既往不咎)」述べた下りの最後の言葉から来ています。
「すでに上手くいった事柄はもう一度云々する必要はなく、すでに実現してしまった事項については諌めようもない。また、過去の過ちを咎めだてする必要もない」といった意味となります。

ある時、魯の哀公が孔子の弟子の宰我に「土地の社(やしろ)に植える神木」について尋ねますが、宰我は「夏の時代には松を植え、殷の時代には柏(はく:イトスギ)を植え、周の時代には栗を植えています。これは社で行われる刑罰によって人々を戦慄(「栗」の音読みも「リツ」であるため、もっと正確には「慄」も「栗」も共に「リー」と中国語で発音するため)させるためであります」と答えました。
それを伝え聞いた孔子が、宰我に語った言葉とされます。よほど気に入らなかったのか孔子は、あまり褒められたことではない過去の事件やつまらない出来事を蒸し返すようなことに、口を極めて異を唱えているのです。
すなわち「成事」と「遂事」と「既往」の三語は、ほぼ同義で繰り返しと受け取られることから、孔子は宰我の魯の哀公への回答が気に入らず、むしろ気に障っていたと思われます。弟子の宰我は師匠にやり込められて、慰めてあげたいくらい気の毒な様子です。

宰我は、魯の出身で孔門十哲の一人ですが、弁論の達人と評された人物です。孔門のなかでは最も実利的で合理主義的な人物であり道徳を軽視しがちであることから、『論語』でも、礼とともに道徳を重んじる孔子からよく叱責を受けています。
まあ、大変非凡ではあったのでしょうが、現在の中国人にありがちな口から先に生まれてきて「名より実を取る」ような人物像が浮かんできます。同じ弟子の子貢と似た括りに分類されるようなタイプです。やはり、弁明の鋭さからか、子貢同様に後に斉国の高官となり出世しています。その後は権力争いで内乱に加担し一族皆殺しにされたとの説と別の人物だという異説もありますが、よくわかっていません。
宰我の姓は宰、名は予、字(あざ)は「子我」でしたので、他の弟子の子路や子貢のように「子我」と呼称されても良さそうなものですが、この『論語』のなかではそうなっていません。孔子にとって宰我は、少し出自・由来の異なる師弟関係だったのかも知れません。

閑話休題。それはさておき(あだしごとはさておきつ)、脇道から本筋に話題を戻すことにしましょう。

習近平総書記は、昨年末の就任以来党の重大会議で度々「反腐敗(腐敗反対)」に関する重要演説を行っています。習近平は中国共産党の党員に蔓延する腐敗への取り締まりに関して「党を厳しく管理し、厳しく処罰し、決して手加減しない」と宣言しています。
特に党員の腐敗に関しては「老虎(トラ)と蒼蠅(ハエ)」を同時に叩くことで、決して大きな腐敗も小さな腐敗も見逃さない、と述べています。
すなわち「老虎」=大きな腐敗(庶民の上に威圧的に君臨して大きな腐敗を行う党幹部を指す)であり、また「蒼蠅」=小さな腐敗(庶民の周囲でブンブンうるさく飛び回るような煩わしい小さな腐敗を行う小官僚達)のことです。

従来のような著名な「落馬官僚(不正の発覚・摘発により政治生命を断たれた官僚のこと)」を反腐敗大キャンペーンに使う見せしめ方式では、もはや多くの腐敗役人を野放しにすることになり「反腐敗」嫌疑でで捕まるのは「ただ単に運が悪かったから」とか「やりすぎ、目立ちすぎだった」とかいう次元の問題にすり替えられかねません。多少の賄賂を得たり接待を受けても、大なり小なり皆やってることだし、低い確率で滅多なことでは捕まらないのであれば、濡れ手に粟の利得が手に入るのです。それなら、腐敗をしない方がバカバカしいことになってしまいます。高い志を持って頑張ってきた役人でも、いつの間にか朱に染まり、不正に荷担してしまうことだってありえます。

ですから、今までは役人の腐敗に対しては「既往不咎(既往は咎めず)」が、中国の「法治原則」だとまで言われていたのです。しかし、それではいつまで経っても「将来に慎むこと」にはならないのです。

こと「反腐敗(腐敗撲滅)」に関しては、習近平総書記の決意は大変固いようです。
しかし、この「反腐敗」運動は、表向きは民意に報いる(人気の)ためですが、本意は党の存続のためであって、官の腐敗による国民の不利益を取り除くためではありません。
「厳格な党内統制には、懲罰の手を決して緩めてはならない。『トラ』と『ハエ』を共に叩き(中略)党規と国法に例外なしの方針を堅持し、誰に波及するのであれ徹底的に取り調べるべきであり、断じて大目に見てはならない」と習近平総書記は述べているように、その「反腐敗」の追及の手は党内へと向かっているのです。

さきの全人代会期中の3月10日に最高人民検察院は、収賄や横領などの汚職で摘発された官僚(公務員)は4年連続で増加し、2012年は4万7338人だったと報告を行っています。また、同報告では過去5年間では21万8639人が立件されているといいます。この数字を見ただけでも、現在の中国は役人の「腐敗」大国だとみなされるでしょう。しかし、この数字は、当該摘発対象者が育つ温々(ぬくぬく)とした豊かな温床があってこその、氷山の一角であるのでしょう。

「反腐敗」運動の追っ手は、更に本丸の高級官僚による「不正蓄財」と、その資金の海外への持ち出しといった深刻な問題に対処できるのでしょうか。自らは専ら党への忠誠を尽くし官位を維持(「裸官」と呼ばれる)し、薄熙来事件に見られるような海外への留学子女(孫も含む)への送金、妻や親族による直接持ち出しなど、手の込んだ形で蓄財の移転が行われており、その背信的な洗銭、または洗黒銭(資金洗浄=マネーロンダリング)による資金額は無視できないほどだと言われています。一説では、中国の国家予算の20%にも及ぶと言われているのです。真偽のほどは確かとは言えませんが、中国権力構造の病んだ姿が垣間見えます。
はたして、習近平総書記の「反腐敗」に対する本気度はどこまでのものになるのでしょうか。お手並み拝見といったところでしょう。
                        51「腐敗に対しては、過去は咎めず原則」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/05/20