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中国名言と株式紀行(小林 章)

第100回 四000年を学ぶ中国名言/「中国的博愛と非暴力の思想」

『官に常貴なく、民に終賤なし(官無常貴、而民無終賤)』
                                出典【『墨子』尚賢篇・上】
[要旨]官位の世襲はなくすべきで、人民も努力次第で地位の向上が認められるべきだ、ということ。
墨翟(ぼくてき)というひとが『墨子』(現存するのは53篇で散逸が多い)の作者とされています(実は殆どが弟子の記述だと言われています)が、春秋戦国時代の河南・魯山の人です。司馬遷の『史記』には「宋の高官」であったとの推測がなされていますが、謎の多い人物です。「墨家」の始祖とされ、一切の差別が無い博愛主義(兼愛・非攻)を説いて全国を遊説したとされています。
その思想の実践形的な防御・守城の技術者集団として墨家集団と呼ばれる学派を築くに至り、儒家と並び立つほどの勢力を一時は誇ったとも言われています。結束力も強く、宗派といったほうがよいでしょうか。墨翟の説く「兼愛・非攻」とは、平等と隣人愛や非暴力の思想だとも言えます。

墨翟は最初、儒学を学びましたが、儒学の「仁」の思想を差別的愛であるとして満足しませんでした。その考えが良くでているのが上記の言葉です。
官や民にも「常貴(いつも尊い)無し」も「終賤(いつまでも賤しい)無し」も、ともに身分の貴賤は生まれついたものではないことを言わんとしています。
その後、焚書坑儒に代表される秦帝国の思想統制政策により、集団として強固な結束をもっていた墨家も、儒学者その他の思想派よりも早く一網打尽にされ、一気に消滅したと思われています。

中国の功利的な社会にあって、墨翟の博愛思想は苦戦しますが、比較的に敢闘賞を与えても良いだろうと思われるものに「尚賢思想」というものがあります。 
「尚賢」とは、賢人を尚(たっと)ぶことですが、才能ある者を尊崇するべきだという主張です。中国ではこれが官吏の登用において強く唱えられた時期がありました。つまり、世襲制に依らず才能に応じて人材を抜擢せよとの考え方です。これが後に科挙制度となります。この思想を最も強く主張するのは『墨子』ですが、孔子の『春秋』の注釈書の一つである『公羊伝(くようでん)』(春秋三伝の一つ。孔子の弟子・子夏の門人の公羊高の作とも)でも同様の主張がみられます。
墨翟の『墨子』では、この「能有れば即ちこれを挙げ、能無ければ即ちこれを下す」との徹底した既得権排除と能力主義を唱えられ、またおもに兄弟・父子・君長の兼愛を説いていますが、これは世襲制や氏族制からの弱者の解放を根底としているといわれています。同様に庶民・奴隷にも才能に応じて官吏登用の門戸が開かれるべきとの主張がされています。

「自説を頑なに守る」という意味の「墨守」という故事成語がありますが、墨翟の逸話から生まれたものです。
ある時、楚の王が天才的大工・公輸盤の開発した新兵器の雲梯(攻城用のはしご)を用いて、墨翟の故国・宋を攻めて併呑しようと画策します。楚王はその新兵器をさっそく使ってみようと思ったのです。その噂を聞きつけた墨翟は行動を起こし、早速楚に赴いて、楚王に宋を攻めないように迫ります。
この時、墨翟は口を極めて戦争による自国の社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻は道理もなく利のないこと、罪のない宋を攻めるのは仁ではないと楚王に説きます。楚王は一方的に攻められて困り果て「机上模擬戦を行い、墨子先生がそれで守りきったなら宋を攻めるのは白紙にしましょう」と提案します。結果は、墨翟側は手ごまにまだまだ余裕を残して、公輸盤の攻撃をことごとく撃退してしまいます。仕方なく、楚王は、宋を攻めないことを墨子に誓います。

墨家の思想は、その実践形として強固な結束と武装した防御・守城の技術者集団としても具現されていましたから「墨守」という言葉は将に墨家にこそ相応しいものです。
防御は、時に最大の攻撃とも見なされることがあります。
もともとはラテン語の格言ですが、英語の諺に「Attack is the best form of defense.」とあり、その和訳が「攻撃は最大の防御」または「攻撃は最良の防御」です。意訳して「先んずれば人を制す」と言われることもあります。

しかし、西洋の発想ではどうも「攻撃」が「防御」に優先して捉えられがちです。
「攻める道具}=武器の開発に力を入れるために軍拡競争になってしまいがちです。結局、歯止めが利かず「防御」は価値が低く、敗者の論理と見なされがちです。
しかし、東洋の世界では違うのです。防御の道具の代表がシェルター(防空壕)や防弾チョッキですが、中国人のメンタリティにおいても自分から斉家へと「防御」の難いことは実証済みですが、ひょっとすると墨家の思想が具現されているのかも知れません。

なにやら、最近ちっぽけな辺境の孤島を巡って、きな臭い領土問題が日中間に勃発しているようですが、従来どおり中国側は伝統的な「墨守」の姿勢で、日本側も先んずることなく「専守防衛」の姿勢で臨めば良いのですよね。

かつて小泉純一郎氏が総理大臣だった時、米国・米軍からの要請で、国会でイラクへの自衛隊派遣について論争が繰り広げられましたが、驚くことに小泉首相は「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず」(原語:「為義、非避毀就誉」意味:私が人の義の道を行うのは、非難を避けるためではなく、名誉を受けるためではなく、ただただ人間とし当たり前の事をするためである)と『墨子』からの言葉を引用して、自衛隊の派遣を主張しました。
小泉氏は、どうやら「人として当然のことをするまでだ」と言いたかったのでしょうが、であれば『墨子』を引くまでもなかったのです。敢えてその含意を探れば「墨守」の思想家の言葉をわざわざ取り上げてでも、米国・ブッシュとの約束を守りたかったのかも知れません。
しかし、墨子思想に依れば先に手を出すようなことはしてはならないはずなのです。こんな間違いが日中の間に起こってはなりません。
                            50「中国的博愛と非暴力の思想」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/05/16