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中国名言と株式紀行(小林 章)

第96回 四000年を学ぶ中国名言/「中国の酒鬼」

『眼前一杯の酒、誰か身後の名を論ぜん(眼前一杯酒、誰論身後名)』
                          出典【『古詩源』庾信「擬詠懐・十一」】
[要旨]死後の名誉より現在の一杯の酒を選ぶ、ということ。
「身後」とは、死後のこと、ちなみに仏教では「前身」とは前世のことをいうそうです。
この詩は、西晋の文人・政治家の張翰についてのエピソードが下敷きとなっています。
張翰という人は、自由奔放で洒脱で常識破りな人物でした。彼は西晋朝に仕えながら秋風の立つのを見て、故郷・呉の鱸魚の鱠が恋しく、この人生、地位のためにあの美味を捨てられようかと役職を投げ打って、洛陽(晋の都)から呉に馬を走らせ帰郷したような人です。この張翰に、ある人が次のように尋ねたことがありました。「死んでから人にどう言われるか気にならないのですか」「はぁ、死後の名声を云々するよりも、今この一杯の酒の方が大事だね」張翰はかっかと笑って答えました(『晋書』張翰伝)。

上記の詩の作者である庾信は、張翰の生きた時代を下って凡そ2百数十年後の南北朝時代の後半、梁(南朝)の貴族に生まれます。梁の建国者、武帝は文化人としての素養も深く、その五十年に渉る治世は首都・建康(今の南京)を中心として中国第一の文化を誇ります。ちなみに『文選』を編纂した昭明太子はこの時の皇太子でした。
庾信は若くして宮廷詩人として活躍し、その文名は北方の地まで知れ渡ります。42才の時、西魏の都・長安に国使として派遣されますが、その滞在中に梁は西魏に攻め滅ぼされて帰国できなくなってしまいます。庾信は故国を失ってしまいます。
当時、北朝の文化程度は南朝に比べて格段に劣っていましたから、彼の才能と名声は歓迎されて、西魏とその後の周朝廷でも高位をもって迎えられます。しかし、庾信は生涯、故郷の南の地への思いを捨て去ることが出来ず、数多くの望郷の詩を残しています。庾信の詩は長詩が多く、また典故がきら星の如くちりばめられていて難解だといわれています。

北朝にあって三十年後、晩年の彼は「擬詠懐」という連作を作ります。「擬詠懐」とは、竹林の七賢の一人とされ、礼法に反し老荘の学問に親しみ、何より大酒と清談(世俗を離れた清らかな談話という意味で、いにしえの中国における知識人たちの哲学的な談話のこと)を好み俗世にこだわらない人であった三国時代の魏の思想家・文人である阮籍の『詠懐』82首になぞらえるという意味で、庾信の南の地への思いがつづられています。
「詠懐」とは、意味としては、心に思うことを詩歌にして表すことで、内に秘めた志を歌ったものということです。
また、庾信自身、当時を思えば後悔することも多々あったのでしょう。

揺落秋為気 揺落 秋 気と為り       草木が葉を落として秋の気配が満ち、
凄涼多怨情 凄涼 怨情多し         物寂しくも怨みの心がわき上がる。
啼枯湘水竹 啼いて湘水の竹を枯らし   涙は湘水の竹を枯らし、
哭壊杞梁城 哭して杞梁の城を壊す     慟哭の声は城壁をも崩してしまう。
天亡遭憤戦 天亡ぼして 憤戦に遭い   天佑を受けない戦は憤りの場となり、
日蹙値愁兵 日蹙(せま)りて 愁兵に値う 太陽さえ陰って兵は愁いに沈む。
直虹朝映塁 直虹 朝 塁に映じ        まっすぐな虹が朝とりでに映え、
長星夜落営 長星 夜 営に落つ    ほうき星が夜陣営に落ちて凶事を暗示する。
楚歌饒恨曲 楚歌 恨曲饒(おお)く  わが楚の歌声には怨みの調べが多く、
南風多死声 南風 死声多し      南の音楽には死の声が満ち満ちている。
眼前一杯酒 眼前 一杯の酒      目の前の一杯の酒を飲み干して、
誰論身後名 誰か身後の名を論ぜん    後の世がなんと言おうと気にするものか。

この詩の最後の2行が名言の典拠となっています。
また、この詩には、舜が亡くなったとき、二人の妃が流した涙で湘水の竹がまだらになったという伝説や春秋時代、杞殖が戦死したとき妻の泣き声で城壁が崩れたという伝説が語られています。さらに、戦の劣勢で追い詰められて自刃した項羽の無念さや凶兆のほうき星と共に命を消した諸葛亮孔明の胸中などに思いを寄せて、滅亡した故国と戦乱のなかで死に絶えた梁の兵士達、不幸の淵をさまよっているであろう故郷の人々に対するレクイエムとなっています。

中国で酒に溺れることを「酒鬼」と言います。
「酔っぱらい」の意味でも使われますが、無類のお酒ファンのことは「酒迷」です。
中国・深圳市場に上場する「酒鬼酒(000799)」という湖南省吉首市の白酒(国酒)メーカーまであります。この「酒鬼酒」は、高粱など穀物(五穀)を原料とする蒸留酒で湖南西部の土家、苗、漢民族の伝統酒で、中国著名商標ともなっているほどで、知らない人はいません。
ちなみに、中国八大銘酒には、五粮液(四川省宜賓市)、剣南春(四川省綿竹市)、洋河大曲(江蘇省泗陽県)、濾州特曲(四川省瀘州市)、郎酒(四川省瀘州市古藺県)、茅台酒(貴州省仁懷市)、西鳳酒(陝西省鳳翔県)、汾酒(山西省汾陽市)があります。多くの著名メーカーが上海や深圳の株式市場に上場しています。

ところが最近、白酒(国酒)メーカーの株式がさっぱり振るいません。
昨年年11月に、この銘酒・酒鬼酒に基準値を上回るフタル酸ジブチル(可塑剤)が混入しているとの報道があり、ビニール・パイプの製造設備に問題があったようですが、白酒(国酒)メーカーへの不信感が一気に広まりました。
それに、輪を掛けるように、中国政府の「三公消費」問題が槍玉に挙がっていまして、公費でのパーティの自粛で消費に影響がでています。
「三公消費」とは、中央省庁および地方政府が、接待飲食、公用車、旅行に使った費用のことを指します。「官」の贅沢ぶりは今に始まったことではありませんが、一般国民の不満に配慮して、新国家主席である習近平氏は異例の厳しい態度で臨んでいます。
浙江省の専門研究団体のある試算によると、この「三公」の浪費額は、ここ数年は全国規模での年間総額は9千億元(約13兆5千億円)を突破しており、それは2012年の中国の年間財政収入の10%に相当する膨大な金額であるともいわれています。

昨年より官公接待への風向きは厳しいものがあります。党の腐敗問題とも絡んで、自粛ムードが鮮明となっています。
「茅台酒」は官僚への付け届けの定番で、ブラックマーケットでは官庁の裏口から出ていく「茅台酒」が現金同様の扱いで、品薄のため高値で取引されているといいます。
昨年7月、国務院(政府)が、夕食会など公務上の接待の席で提供される料理に、高級食材として知られるフカヒレを使用しないよう、幹部らに指示する方針を決めた、と中国紙が報じましたが、環境保護団体から、サメのヒレだけを切り取る漁法が批判されており、サメ類の保護と接待費の削減が目的だとされています。
今年3月の「両会(全国協商会議と全人代)」に先駆けて開催された地方レベルでの「両会」後の盛大な懇親パーティも自粛されて、例年の華やかな盛り上がりに欠けると言われています。
今後、こうした流れは止まることはないでしょう。これまで優良銘柄ともてはやされてきた、白酒(国酒)メーカーの趨勢が注目されます。すでに影響は、その売上額に大きく反映してきているといいます。
                                        48「中国の酒鬼」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/05/08