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中国名言と株式紀行(小林 章)

第90回 四000年を学ぶ中国名言/「糾える市場の成長性にこそ注目を」

『禍福は糾える縄のごとし(禍福如糾縄)』
                                    出典【『漢書』賈誼伝】
[要旨]禍(災難)と福はより合わせた縄のように、交互にあらわれるものだ。福あれば禍あり。出典は『史記』と『漢書』にみえます。『史記・南越列伝』には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾(あざな)える縄の如し(因禍為福、成敗之転、譬若糾乢)」とあり、『漢書』には上記の「それ禍と福とは、何ぞ糾(あざな)える縄に異ならん(夫禍之與福、何異糾纆)」とあります。
英語にも類似表現として「Sadness and gladness succeed each other.(悲しみと喜びは交互にやってくる)」という言葉があり、洋の東西を問わずほぼ共通の表現が存在するようです。

日本でも有名な類義句として「人間(じんかん)万事塞翁が馬」という表現がありますが、意味は、一時の幸と不幸は、それを原因として、すぐに逆の立場に変わりうるのであって、軽率に一喜一憂すべきではない、ということです。
しかし、この言葉は中国の古典で劉安『淮南子・人閒訓』にある次のような寓話からできた言葉です。
北方の要塞(とりで)の近くに住んでいる老人(塞翁)が飼い馬に逃げられたが【禍】、その馬が胡人(国境外の異民族)の地から名馬(駿馬)を連れて帰ってきたので【福】、息子が喜んで名馬に乗ったはいいが落馬して足の骨を折り大怪我をした【禍】、一年後胡人が国境を越えて攻め入ってきて、国境の働き盛りの若者は戦争に駆り出され、十人のうち9人の者が戦死したが、息子は怪我のために兵役を免れて死なずに済んだ【福】、という禍福は繰り返すという物語が元ネタとなっています。中国語では「塞翁失馬」と言います。
やはり、英語でも「blessing in disguise」と言う類似表現があって、意味は「不幸中の幸い、不幸に見えて実はありがたいもの、つらいが後でためになる物事」ということです。

思えば、悲喜こもごもという表現も存在するように、禍福・幸不幸・吉凶・悲喜・苦楽・優劣、も一つおまけに景気不景気は、糾(あざな)える縄の如く交互に繰り返されるものであります。

『老子』の順化第五十八章にも「禍兮福之所倚、福兮禍之所伏。孰知其極。其無正。正復爲奇、善復爲訞。人之迷、其日固久」とあり、林語堂の英語和訳では「災禍は幸運への通路であり、そして幸運は災禍の隠れ家である(災禍と幸運はいつも隣り合っている)。誰がその帰趨(きすう)を知り得ようか。このように、いつも正常な姿のままというものはない。正常な姿は、すぐにでも欺瞞の状態へと逆転するし、良い状態は災いへと転換する。このようにして、人類は長きにわたってさ迷い続けてきたのだ!」と解釈されています。

林語堂の『老子』など中国古典の英訳は文学的にも優れた解釈がほどこされており、深い理解にもとづく名訳ですが、彼の残した名言にも洗練されたステキな言葉が数あります。
「自分と違う者に、なろうとしないこと」や「満足を得る秘訣は、おのおのが自分の実力と限界を自力で見出し、自分が十分に力を発揮できる仕事は何であるか知ること。そして、どのような成功者であろうと権力者であろうと、その地位は宇宙に比較すれば微々たるものだということを悟るだけの分別を持つことである。つまり、本当の自分自身になりきる勇気、孤独に耐える勇気、自分と違う者になろうとしない勇気を持つことである。」

または「物事を完成させるという尊い考え方と共に、手をつけずに放っておくという尊い考え方もある。人生の知恵の本質は、不必要なものを取り除くことにあるのだ」なんて、いい言葉、いいこと言うなぁと思います。彼の洗練されたセンスとインテリジェンスを感じます。ノーベル文学賞候補にもなった位のひとですから、もっと評価されてもいいのになぁ、と思います。彼の知性は、中国古典と近代化の歴史に育まれ、西洋の権威主義やインテリジェントと対等の立場で渡り合えた本物の知性でした。

「糾(あざな)える縄の如く交互に繰り返されるもの」には、私も夢中になる株価の高騰と下落の循環がありますが、上昇と下落の幅が大きい時にこそ儲けのチャンスにも恵まれるものです。差益が大きくなるからですが、その現象に翻弄される人々の禍福や悲喜劇、運不運の落差や格差も大きくなる傾向にあります。
「糾(あざな)う」とは、縄をなう、より合わせる、という意味ですが、稲藁をなって縄を編んだ経験のある人はわかるでしょうが、しっかりねじり込まれた2本の藁糸を手で交互にねじり編み込んで合わせていきます。陰と陽を交互にねじり編みして1本の縄となりますが、こうした古来からの編み込みの技法が強力な巨大吊り橋を支えるザイルに活かされています。したがって、陰も陽も交互に陽糸と陰糸となり、その逆にと、幾重にも繰り返されて1本の強い縄となっているのですから、いちいち陽だ陰だと騒ぐ方が可笑しいのです。稲藁の質にこだわり、陰陽を緻密に繰り返し織り上げていけば、益々強い縄となるのですから、陰と陽との繰り返しに一喜一憂するのではなく、編み上げられる縄の仕上がり具合に注意を払うべきなのです。出来上がる縄=これからの市場の成長性や信頼性が重視されるべきなのです。
糾(あざな)える縄の質と出来具合に気を遣って、その市場に参加すべきかどうか決めるべきでしょう。当然ですが、成長性の見込みにくい市場では、チャンスの頻度も得られる利益も少なくなります。
                        45「糾える市場の成長性にこそ注目を」

注)この名言は、邱永漢監修『四000年を学ぶ中国名言読本』(講談社)より抜粋させていただいております。 

2013/04/26