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中国名言と株式紀行(小林 章)

第89回 中国・天津から/中国株日記 (43)

【NO.44】中国、天津から(7)
最近、天津の隣家の知人が病気でなくなり、3日間におよぶ盛大な葬儀が執り行われ、その一部始終を見る機会がありました。
5、6年前にも、妻の友人の母親の葬儀に参加したこともありましたが、その時と比べても次元の違う葬送の儀式化に、隔世の感を実感させられました。
当時のつましい葬送の儀は影を潜め、隣近所と競うようにお金をかけ、膨大な献花の列に、高名な僧侶集団を招き、催場のような入場門を設営し、読経に合わせて楽器演奏とタバコ奇術のパフォーマンスが繰り出され、参加客から献銭の無心を繰り返し、といささかやりすぎの感を禁じ得ませんでした。
 こうした冠婚葬祭の派手な儀式化は、庶民レベルでも、お金を掛ければかけるほど、孝行や家系の誉れを体現し、周囲の賞賛や本人達の自己満足心を満たしているのでしょうが、何よりも予期せぬ出費、いざという時の貯蓄に励んできた理財成果の表出の場であるとも言えるのでしょう。
隣人や隣家との競い合うような儀式化の傾向は、どこまでエスカレートしていくのか、私は少し食傷してしまいました。
「お金の分配は不公平であるばかりでなく、むしろ不公平の上に満足感が築かれている」と邱永漢さんも書かれていますが、金銭の貯蓄格差は、経済発展の最中には激しくなるのは当然であり、逆に貧富の格差が顕著であるから経済発展しているのです。
このことは、中国に暮らして、庶民と親しく接してみれば、実地で理解されます。

中国の「不動産バブル」は言われて久しく、事実主要都市での不動産取引価格の高騰や過熱感は否定しがたいのですが、日本のマスコミ関係者が期待する「バブルの崩壊」にはなかなか至る気配が見えません。
そういう面では、中国政府による不動産投機抑制策は、功を奏しているのでしょう。一説には、日本で起きた「バブル崩壊」の事態が、その後の日本経済に何をもたらしたかを、よく中国政府系の研究機関は研究し尽くしていて、上層部への進言が的確になされていると言われています。それは恐らく事実なのでしょう。

いま、中国政府が大変恐れることのひとつは、これまで中国経済の成長の「源泉」であった不動産取引を、暴落を含む混乱に陥れることだけは避けたいという思いがあります。
これまで中国の地方政府は不動産取引で得た財源をもとに、インフラ投資を行い、雇用を作り出し、経済成長を可能としてきました。
その証拠が、国家レベルよりもうんと高い、地方主要都市部の不動産投資で稼いだ経済成長率の伸びを示す数字でした。
中国の現在のGDPの4割強が社会固定資産投資で、うち約2割が不動産投資となっています。特に、省以下の地方政府の自由になる財源の多くは不動産取引によるものだと言われています。
中国の不動産バブルの崩壊は、中国経済の混乱のみならず、政権基盤自体を弱体化に導く要素を多分に孕んでいる大問題です。
政府は、どんな手を使ってでも、多少の経済成長を犠牲にしてでも、劇的な「バブルの崩壊」だけは避けるシナリオを用意するでしょう。

もともとは農耕の民同士ですが、中国人は、日本人以上に土地への執着が強くあります。
農耕社会が基本にある民族では、本来お金になる価値は作物の収穫ですが、土地がなければ作物からの収穫も得ることができませんし、衣食住の前提が成り立ちません。
「士農工商」といいますが、「工商」では作物の収穫外での付加価値が生活や経済活動の基盤になりますので、「土地」に縛られる必要がなくなります。
しかし、農耕の民から出発し、永くその土地に縛られてきた経験のある民族には、土地や不動産への愛着は信仰に近いものが血脈として体を流れているのかもしれません。

中国の一般庶民のホットマネーや不動産融資による銀行の巨額のお金をも巻き込んで、大都市でも地方でも不動産投資ブームが起きており、目端の利く小金持ちの庶民でも2軒目、3軒目の物件を求めて、1年後2年後の完成引渡物件が青田買いされていきます。
地方政府の子役人と開発業者は充分に甘い汁を吸い、庶民も僅かにこぼれ落ちる蜜蝋の甘さに酔い心地となっています。
中国の大抵の人が土地の時価上昇の虜になり、損をした経験がないために、掛けたハシゴの降り時を失し、いずれ近いうちに、借金を重ねるなどして身の丈を越えて手を広げすぎた庶民の多くは痛い目に遭うことになるでしょう。

急騰を続けた中国の不動産価格も、今後、政府の適切な対策によって、地方の無計画で野放図な大型土地開発プロジェクトの見直しや銀行融資の規制強化等によって、いずれ今後は鈍化に向かい、不動産投機に集中していたお金の流れは、大きく変化していくことになるはずです。

しかし、いくら中央政府が土地投機傾向に歯止めを掛け、操縦桿を上手くコントロールできることを誇示して、ソフトな着地を目指したとしても、一時的にでも着地の衝撃は免れ得ません。
この場合、多くの衝撃は、準備もままならなかった乗客の側、すなわち一般庶民の側に降りかかってくるものと、大体相場はきまっているものです。

人はお金を儲けたときよりも、損したときのことをよく覚えているものです。
中国株では上海・深センの中国本土市場が高値のピークを打ったのが2007年10月です。上海証券取引所の株価のベンチマークである総合指数は、市場最高値の6000ポイントを超えました。
2005年の夏を株価指数のボトムに、本土市場は大相場を2年余の間演じ続けたのでした。
にわかに株式市場は活気づき、連日の高値更新の報道に、多くの股民と呼ばれる一般庶民も儲かると聞けば居ても立ってもいられなくなり、証券窓口に走りました。
が、多くの股民は株を高値で掴み、その後、短期の狂騒ののちに奈落の底に沈みました。
株式市場は急速にしぼみ、多くの一般庶民は我に返り、急激に株に関心を失ってしまいました。

同じ悪夢が、不動産高騰の狂騒のうちに見て取れます。
2軒目3軒目の「房東」(貸家の大家)となった多くの一般の不動産投資者たちも、高値の時にチャンスと見て、思いっきり融資枠限度額を使って手にした物件が、借金の楼閣となって重く肩にのしかかり、悲鳴に変わる日は近いのです。
「用明天的銭、圓今天的夢」(明日のお金で、今日の夢を叶えよう)という宣伝文句で始まった住宅ローン制度も「房奴」(持ち家のための奴隷)と呼ばれる経済力を無視したためのローン苦の人々を生み出し続けています。

こののちの後遺症は長く癒えない傷となり、不動産への関心を失わせる結果となるでしょう。
しかし、一度知ってしまったお金の密の味は忘れようとして忘れられないものです。

この次に蓄財の対象として、お金の向かう先はどこでしょうか。
株式はどうでしょうか。

2010/10/07

注)この記事は、過去のものからの再録の形で転載させていただいております。時事的に古い話題が取り上げられていますが、内容的には時間の風雪にも耐えられるものと思い、取り上げさせていただいております。
 

2013/04/24